「ここからが彼の男としての見せどころとなっていくことを肝に銘じて、一生懸命八代目中村芝翫(しかん)を継ぐべき人間として頑張っていくと申しておりますので、どうぞ皆様よろしくお願いします」
不貞を犯した夫を許し、今後も支えていくと前を向いた三田寛子(50)が“賢妻だ”と評判を呼んでいる──。
『週刊文春』(9月22日号)で発覚した中村橋之助(51)と京都の芸妓・市さよとの不倫。8月下旬、大名跡・八代目中村芝翫の襲名を目前に控えた橋之助は都内や京都で彼女との密会を繰り返したという。三田とは“芸能界のおしどり夫婦”として知られていただけに、橋之助の女性スキャンダルは各メディアで大々的に報じられ、橋之助は謝罪会見で「私の不徳」と繰り返し、頭を下げた。
そんな騒動に違和感を覚える人は少なくない。著書に『歌舞伎 血と家と藝』(講談社刊)のある作家の中川右介氏もそのひとりだ。
「こんなに大騒ぎをして糾弾することなのか。歌舞伎役者と花柳界の芸者の男女関係なんて当たり前のこと。ひと昔前ならニュースにもならなかった」
歌舞伎役者と京都の花街の女性の関係は深く、役者は幼い頃からお茶屋に行き、芸者から“女性”を学び、芸者は役者から“芸事”を学ぶ。芸者が「総見」で舞台に花を添えれば、役者はお茶屋で花代を落とす。この持ちつ持たれつの関係は「役者と芸者は芸の双子」とまで言われたものである。梨園関係者が解説する。
「色と芸は歌舞伎の発祥時から深く関わっている。江戸時代初期、出雲の阿国による『かぶき踊り』が人気を博すと遊女たちがそれを真似て『女歌舞伎』を作った。女役者たちは踊りを披露するとともに男性客に体を売っていた。だが、これは徳川幕府によって禁止され、それ以降、歌舞伎は女役も男性が演じる今の形へと変わっていった」
“色”で観客を魅了する歌舞伎役者は江戸時代から浮き名を流し続けた。
「江戸時代、最も有名な歌舞伎役者のスキャンダルといえば『絵島生島事件』でしょう。七代将軍・徳川家継の大奥に仕えていたお局・絵島は、当代きっての人気役者である生島新五郎に骨抜きにされた。ご存じの通り、大奥は男子禁制。その中で絵島はその立場どころか命を捨ててでも、と惚れ込んでしまった」(中川氏)
※週刊ポスト2016年10月7日号