2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、『大日経』の「方便を究竟(くきょう)と為す」という言葉の解釈を紹介する。
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暑さ寒さも彼岸までといいます。奏効率の低い抗癌剤でしたが私の場合は効いたので、半年ほど命が延びました。それで、春にこの連載をお引き受けしました。すでに秋彼岸です。もう着ることは無いと思っていた冬物の衣服をクリーニングする必要が出てきました。
彼岸会は日本独自の仏教行事で、大同元年(806)に桓武天皇によって始められました。春分と秋分の前後7日間に全国の国分寺で金剛般若経を読誦したのです。この経に説かれている「筏の譬喩」から「お彼岸」と呼ばれるようになりました。筏の譬喩に関しては何度も書いているので、普門院診療所のHPにも掲載している既刊の連載記事(fumon.jp)を参照して頂ければ幸いです。
彼岸会が、春分・秋分のときに執り行なわれるのは、観無量寿経(大乗仏教の経典の一つ)に説かれている阿闍世王の物語に由来します。桓武天皇が流刑にした実弟の早良親王は無実を訴えて断食し、餓死しました。桓武天皇は、諫言によって親族を餓死させたという、阿闍世王と共通の苦悩をもったのです。
その苦悩の治療として観無量寿経は西に沈む夕日に精神を集中するヨーガ「日想観」を説いています。それで太陽が真西に沈む春分・秋分の日が選ばれたのです。