来る2019年に創立150周年を迎える靖国神社が、歴史的な大転換点を迎えるかもしれない。靖国に祀られるのは「国のために殉じた人々」だけである。つまり神社がつくられた当時の「国=明治政府」に刃向かった幕府軍・会津軍や、西南戦争で敗れた西郷隆盛らは「賊軍」となるため、祀られる“資格”がない。
だが、彼らの合祀を求める会を国会議員らが立ち上げ、靖国神社に申し入れをするというのだ。発起人を務める保守派の重鎮、亀井静香・衆院議員が言う。
「日本は戊辰戦争、西南戦争という内戦を経て近代国家に生まれ変わった。当時は薩長と幕府・会津が二手に分かれて対立したが、敗者がいるからこそ争いが鎮まった。明治維新から150年も経つのに、内戦の死者が『賊軍』として祀られないのはおかしい。そこで有志に呼びかけて会を立ち上げ、靖国神社に合祀を求める申し入れをすることにした」
歴史を繙(ひもと)くと、靖国神社のルーツは明治2年(1869年)に建てられた「東京招魂社」に遡る。戊辰戦争、士族の乱などで命を落とした薩摩・長州軍らを「官軍」として慰霊顕彰し、明治維新を偉業として後世に伝えるための社だった。そのため官軍と戦って破れた幕府軍、会津軍らは「賊軍」とされ、祀られなかった。明治12年に社号が「靖国神社」に改められて以降も、「賊軍史観」は変わっていない。
これに一石を投じたのが、現在の靖国神社宮司・徳川康久氏である。第15代将軍・徳川慶喜を曾祖父にもつ徳川宮司は、徳川家康を祀った芝東照宮に奉職した後、靖国神社の宮司となった。「賊軍の長の末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に就任したのである。
2013年1月の就任時、「幕末の動乱期、曾祖父の慶喜は身を挺して朝廷と御所を守った」と発言して注目された徳川宮司は、今年6月に共同通信のインタビューで、自らの「明治維新史観」を一歩進めてこう語った。
〈文明開花という言葉があるが、明治維新前は文明がない遅れた国だったという認識は間違いだったということを言っている。江戸時代はハイテクで、エコでもあった〉
〈私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった〉
「公式見解」を覆す靖国神社の根幹にかかわる大胆な発言だったが、記事は一部の地方紙にのみ掲載されたのみで反響は少なかった。しかし本誌・週刊ポスト7月1日号が、「徳川宮司『明治維新という過ち』発言の波紋」とのタイトルで大々的に報じると状況は一変し、靖国関係者や政界関係者に大きな波紋を呼んだ。