スポーツ、映画、音楽、舞台──どの世界でも、名場面にはそれを導く言葉があった。スポーツの世界の偉大なる名監督たちの格言を紹介しよう。
【三原脩 プロ野球 1911~1984年】
「『勝負は心理戦である』──これは私の考え方だ。信念といってもいい」
各球団で日本一を経験し、「魔術師」の異名を取った、昭和を代表する名監督。大胆な選手起用などで知られたが、この言葉が示す通り、その采配の裏には緻密な戦略があった。(『風雲の軌跡』より)
【大松博文 バレーボール 1921~1978年】
「わたしは選手たちを自分の妹である、家族であると考えています。だれひとりにも不公平があってはならない、一家の苦しみは、まず家長のわたしが苦しむようにしています」
1964年、東京オリンピックの女子バレーで、金メダルを獲得し世界を驚かせた「東洋の魔女」。大松監督は自らが見本になろうと、選手の誰よりも早くコートに姿を見せ、誰よりも遅くコートを去った。(『おれについてこい!』より)
【井村雅代 シンクロ)1950年~】
「あほか、負けたら悔いあるやろ。悔いありませんと答えるなら、試合に来るなよ」
「これが私の責任の取り方です」。リオ五輪で3大会ぶりのメダルを獲得したあと、井村はこう言った。選手たちに過酷な練習を課すことで知られるが、それは練習が報われるのは結果しかないと知っているからだ。(『シンクロの鬼と呼ばれて』より)
【仰木彬 プロ野球 1935~2005年】
「選手の“咲き時、咲かせ時”を判断して、立派な花を咲かせてやるのが監督の仕事です」
野茂英雄とイチロー。2人のパイオニアは揃って、仰木監督を生涯の師と仰ぐ。常識や他人の評価に囚われず自分の目で見て、いいと思えば使ってみる。そうやって選手の旬を見極め、人々の記憶に残る選手の才能を開花させた。(『勝てるには理由がある』より)
※週刊ポスト2016年10月14・21日号