政界引退から4年、回顧録『YKK秘録』を今夏に上梓し、盟友・加藤紘一氏を失った今、この男は何を思うのか。ジャーナリストの青木理氏が山崎拓氏にインタビューした。「YKK」のもう一人は小泉純一郎・元首相である。
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選挙制度。世襲議員の増加。戦争の記憶の風化。これらが相まって政界の劣化が進行している。加えて言うなら、右肩上がりの成長期がはるか後景に遠ざかり、将来をしかと見通せない不安と焦燥が人々の間に沈殿している。昨今、評伝や発言録がベストセラーになるなど田中角栄が奇妙なブームになっているのは、そのひとつの証左なように私には思える。
だが、山崎はこう言って首を振る。
「僕はおかしいと思う。立志伝中の人物であることは認めるけれども、功罪があまりに大きい。功のボリュームも大きければ、罪も大きくて、相殺されてゼロだ」
──罪というのはやはり……。
「金権政治ですよ」
山崎が加藤や小泉とともに衆院議員に初当選したのは1972(昭和47)年。首相の座には当時、福田赳夫との「角福戦争」を制した田中角栄がいた。
「当時、小泉は福田の書生だった。田中に敗れた晩、小泉は福田の酒に付き合った。金権選挙への呪いの言葉を聞いとるわけです。それが小泉の反経世会のDNAですよ」
山崎もまた、強烈な情景を目の当たりにした。続けて山崎の話。
「僕らよりも1期上に“田中チルドレン”の錚々たる面々がいてね。小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和、渡部恒三。我々が初当選したら、歓迎会みたいのをやってくれた」
山崎によれば、酒を飲み、盛り上がった時、出席者が羽田に尋ねた。
「ところで羽田さん、総裁選ではいくらもらったんですか?」
羽田はこう答えた。
「3000万だよ。なあ皆、貰ったよな」
そう言ったら皆、肯いた。まるで昨日のことのように山崎が振り返る。
「みんなで3000万かと思ったら、1人3000万。1年生(議員)ですよ。ならば2年生、3年生はいくらもらったのか。田中角栄はそれぐらいカネを配って(総裁選を)ひっくり返した。普通なら福田ですよ」