プロ野球界には、常識を覆すようなフォームで活躍する選手が定期的に現れる。「マサカリ」「バンザイ」といった投法から、「天秤」「こんにゃく」といった打法まで、昭和から平成にかけての「変則フォーム」を紹介する。(2016年10月8日更新)
変則投法 昭和(1960~80年代)編
【背面投げ】小川健太郎
小川健太郎(1954~70年 東映、中日)95勝66敗、防御率2.62。1969年、巨人の王貞治に繰り出した奇策。背中側からボールが出てくることでタイミングを外そうとした。ただし、現在のルールではボーク。
【ロカビリー投法】若生忠男
若生忠男(1955~70年 西鉄、巨人)105勝107敗、防御率2.81。打者から背番号が見えるほど上半身をひねってアンダーハンドで投げる様が、ロカビリー歌手の振り付けに似ていた。
【超アンダースロー】高橋直樹
高橋直樹(1969~86年 東映、西武ほか)169勝158敗13S、防御率3.32。ボールの握りを見せながらアンダースローで投げるが、制球力の良さで凡打の山を築いた。
【タコ踊り投法】佐藤政夫
佐藤政夫(1970~1987年 中日、大洋ほか)14勝27敗8S、防御率3.96。クネクネとした動きが「タコ踊り」と称されたサイドスロー投手。長嶋茂雄の現役最後の対戦投手。
【右の星飛雄馬投法】
西本聖(1975~94年 巨人、中日ほか)165勝128敗17S、防御率3.20。左足を高く上げるフォームが漫画『巨人の星』の星飛雄馬(星は左投げ)に似ていた。切れ味鋭いシュートを武器に江川卓とWエースとして君臨。
【ワイルド投法】アニマル・レスリー
アニマル・レスリー(1986~87年 阪急)7勝5敗24S、防御率3.00。198センチの巨漢で、マウンド上で雄叫びを上げるワイルド投法。在籍2年ながら強烈なインパクトを残し、引退後はタレントに転身。
変則投法 平成編(1990年代以降)編
【ノールック投法】岡島秀樹
岡島秀樹(1994~2015年 巨人、日ハムほか)38勝40敗50S、防御率3.19。様々なコーチによる矯正、修正も効果がなかったというが、課題の制球力は年々改善され、メジャーでも活躍。
【UFO投法】山内泰幸
山内泰幸(1995~2002年 広島)45勝45敗1S、防御率4.40。「ピンク・レディーの名曲『UFO』の振り付けに似ていることから、『UFO投法』と名付けられたのはプロデビュー直後ですが、あのフォームになったのは大学(日本体育大学)時代。UFO投法というネーミングは、当初は『未確認物体』みたいで、ちょっと嫌でしたが、今となってはよかったと思っています」(山内氏)
【あっち向いてホイ投法】吉崎勝
吉崎勝(2000~09年 日ハム、楽天)9勝10敗、防御率4.77。足を上げた時に完全に顔を後ろに向けてから投げる投法で、「首だけトルネード」とも呼ばれている。
【ガチョーン投法】多田野数人
多田野数人(2008~14年 日本ハム)18勝20敗、防御率4.43。大きく振り被ってコンパクトに投げる様が、谷啓のギャグに似ていることから命名。超スローボールの「ただのボール」も有名。
【バンザイ投法】浜田智博
浜田智博(2015年~ 中日)0勝0敗、防御率40.50。テークバックが小さく、両手を上げた状態で投げるため、球の出所が見えにくい。中学時代に考案したという。
変則打法 昭和(1960~80年代)編
【天秤打法】近藤和彦
近藤和彦(1958~73年 大洋、近鉄)打率.285、109本塁打、1736安打。奇抜な構えでヒットを量産した。剣道の構えをヒントに肘の負担を軽減するために考案されたと言われている。
【マサカリ打法】木俣達彦
木俣達彦(1964~82年 中日)打率.277、285本塁打、1876安打。左足を高く上げバットのグリップを極端に下げた状態から打ちに行く。打法の名付け親は中日スポーツの記者だった。
【竹之内打法】竹之内雅史
竹之内雅史(1968~82年 西鉄、阪神)打率.249、216本塁打、1085安打。「毎日のようにフォームが変わっていたからね。最初は普通に構えていたんだよ。なのにど真ん中のボールを打っても内野フライになってしまう。上手くミートする方法がないかとバットを寝かせたら、ボールに一直線でバットが出るようになった。また打てなくなると、猫背でベースに被ってみたりもした。私がバットを担いで構えると、星野仙一が“やる気ないのか!”とマウンドから怒鳴ってきたこともあった(笑)」(竹之内氏)
【八重樫打法】八重樫幸雄
八重樫幸雄(1970~93年 ヤクルト)打率.241、103本塁打、773安打。プロ入り13年目に、極端なオープンスタンスに変更し、3年後に打率3割を記録。現在はヤクルトのスカウト。
【こんにゃく打法】梨田昌孝
梨田昌孝(1972~90年 近鉄)打率.254、113本塁打、874安打。余分な力を抜く目的で両腕をクネクネと動かし、投手とのタイミングを計った。勝負強い打撃に加え、甘いマスクで女性ファンも多かった。
【神主打法】落合博満
落合博満(1979~98年 ロッテ、中日ほか)打率.311、510本塁打、2371安打。顔の正面でバットを握る様が、神主のお祓いに似ている。プロ野球史上唯一、3度の三冠王を獲得した。
【クラウチング打法】ウォーレン・クロマティ
ウォーレン・クロマティ(1984~90年 巨人)打率.321、171本塁打、951安打。尻を突き出し上半身はホームベースに覆いかぶさるほど前傾。風船ガムを膨らませる様も真似された。
変則打法 平成編(1990年代以降)編
【バット短く息長く打法】大道典嘉
大道典嘉(1988~2010年 南海、巨人)打率.284、60本塁打、906安打。バットを極端に短く持ち、ギリギリまで引きつけ打つスタイルで41歳まで活躍。「福岡の宅麻伸」の愛称で呼ばれた。
【ガニマタ打法】種田仁
種田仁(1990~2007年 中日、横浜)打率.264、71本塁打、1102安打。「プロ11年目。当時の僕は、打つ時に体が早く開いてしまい、ミートのタイミングが合わずに凡打の山を築いていた。ならば、最初から開いた状態でタイミングを合わせることに集中すればいいと考えて生まれたのが、『ガニマタ打法』でした。選手生命も延びたし、観客が真似をして『タネ・ダンス』を踊ってくれた。ガニマタに変えて本当に良かったです」(種田氏)
【スコーピオン打法】フリオ・フランコ
フリオ・フランコ(1995、98年 ロッテ)打率.298、28本塁打、286安打。スコーピオン(サソリ)に似たフォームは、「神のお告げ」で生まれたという。大リーグで首位打者を獲得したこともある。
【水平打法】タフィ・ローズ
タフィ・ローズ(1996~2009年 近鉄、巨人ほか)打率.286、464本塁打、1792安打。地面に対し水平に持ったバットをグルグルと回してから振る。外国人選手の最多本塁打記録を持つ。
【前手ギュン打法】松田宣浩
松田宣浩(2006年~ ソフトバンク)打率.277、161本塁打、1089安打。「インパクトの瞬間に前で『ギュン』と手首を返すことで力強く打ち返すことができる」とのことで本人が命名。
変則投法、打法 名球会編
「変則フォーム」の選手の中には、大活躍し、日米通算200勝・2000本安打で入会できる「名球会」入りした選手も多数いる。
【一本足打法】王貞治
王貞治(1959~80年 巨人)打率.301、868本塁打、2786安打。巨人の打撃コーチ・荒川博氏の指導のもとで王は「一本足打法」を完成させ、通算本塁打868本の世界記録を樹立。当初、この打法は本塁打を狙ったものではなかった。「王は右足を上げステップして打つ時に、手首を回す悪い癖があった。それではインコースが打てない。そこで、最初からステップした状態を作ることを目的に、一本足で立たせたところ、バットがスムーズに出た。その感覚をつかむために一本足で練習をさせたのです」(荒川氏)。
【マサカリ投法】村田兆治
村田兆治(1968~90年 ロッテ)215勝177敗33S、防御率3.24。マサカリを振り下ろすようなフォームから繰り出すフォークが最大の武器。現在66歳で球速131キロ。
【トルネード投法】野茂英雄
野茂英雄(1990年~94年 近鉄)78勝46敗1S、防御率3.15。高校時代から上体を捻って投げており、当時は「つむじ風投法」と呼ばれた。大リーグで2度のノーヒットノーランを達成。
【フルスイング打法】中村紀洋
中村紀洋(1992~2014年 近鉄、中日ほか)打率.266、404本塁打、2101安打。高々と左足を上げて豪快にフルスイング。入団時にチームから改造を勧められるも拒否して貫いた。
【振り子打法】イチロー
イチロー(1992年~ オリックス)打率.353、118本塁打、1278安打。イチローと共に「振り子打法」を開発したのは当時のオリックスの二軍コーチ・河村健一郎氏だった。「フォーム改造を命じられて二軍へ来たのですが、タイミングの取り方が上手く、頭が投手方向に動いても、左右の足底と頭でできる二等辺三角形が崩れずに体の正面で打てていた。そこで監督に“2年間は見守ってほしい”と進言したんです。監督やコーチ陣を説得するのは大変でしたよ(笑)」(河村氏)
※選手の成績は2015年シーズン終了時のもの。NPB(日本のプロ野球)での成績のみ記載
おまけ 2016年高校野球 「変則フォーム」選手
「逆一本足打法」に「あっち向いてホイ投法」……。この夏は常識にとらわれない高校球児たちがグラウンドを賑わせた。
【あっち向いてホイ投法】前野雄介
地方予選では「あっち向いてホイ投法」(岩手・花巻南、前野雄介投手)、「逆一本足打法」(西東京・和光、室橋達人選手)などが話題に。聖地・甲子園でも左足を上げた直後にカクンと伸ばしてから投げる「カックン投法」(佐賀・唐津商、谷口優成投手)や、追い込まれるとスタンスを広く取る「ノーステップ打法」(熊本・秀岳館ナイン)など、個性派が躍動した。
【ノーテイクバック投法】庄司海斗
山形県予選で「ノーテイクバック投法」で打者を翻弄したのが、庄司海斗投手(日本大学山形高校3年=県予選準々決勝敗退)だ。ヒントは「投手と内野手との連係プレー」だった。庄司投手が振り返る。「クイックモーションで投げた方が、球速が増してキレのある球が投げられました」。元々は大きなテイクバックの投球フォームだったが、この投げ方にしてから打者から手元が見にくくなり、三振がとれるようになった。
【ヘリコプター打法】馬越大地
打席での存在感抜群の「ヘリコプター打法」を見せてくれた馬越大地選手(滋賀学園高校3年=県予選準決勝敗退)。打席でバットを振り回すこのフォームはどこから生まれたのか。「きっかけは2年秋。長浜北星戦で楽に構えようと思ってバットを回したら、ホームランが打てたんです!」(馬越選手)。「ヘリコプター打法や!」。名付け親はチームメイト。「あの打法を始めてからバットが出やすくなり、ミート力が向上して、野球が楽しくなりました」という