本稿は、「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現しました。坂上幸子さん(千葉県・45才)の場合。
◆自死した母。第一発見者は15才の私。
伯父は獄死(獄中で死ぬこと)。祖父は客死(旅先で死ぬこと)。私が物心ついたときから耳にしてきた言葉だ。獄死したのは父の兄で、思想犯として捕えられていた刑務所で、30代で亡くなった。私が生まれるずっと前のことである。
客死したのは母の父で、スペイン旅行中に事故死した。外国で亡くなることをこう呼ぶことを、私は幼いころから知っていた。
そして、自死。私が15才の時に、精神的な病と診断されていた母が自宅でしたことである。発症してから3年。今なら統合失調症と呼ばれる病気だが、30年前のこと。治療法は手探りで、コロコロと言うことが変わる主治医に振り回されたまま終わった。
第一発見者は中学校から帰宅した私だった。外出先から父が帰ってくるまで、私は母に何をしたのか、ほとんど覚えていない。私は手に傷を負って大量の血を流していた。その傷の手当のために、病院に運ばれ、家に戻ると警察の取り調べを受けた。さっきまで母の骸が横たわっていた部屋で、あれこれ聞かれた。
ああ、そうか。第一発見者の私が母を殺したと疑われているのかと、話しかける警察官の顔をぼんやりと見ていた。
私はもともと感情というものが苦手だ。自分がどういう感情を抱いているのかが今ひとつわからない。だから、親しくなった人に何かの拍子で母や伯父の死について話すと、「本当のことなの?」と驚かれる。そんなこと言ったら、私の家はずっと、「本当のことなの?」の連続だ。
中小企業を経営していた父は2度、結婚している。最初の妻M子さんとの間に生まれたのが15才年上の姉で、父から聞かされた元妻はモンスターのような女性だ。
「病弱なおれと2才の娘を捨てて、離婚宣言するなんて人間がすることか?」
これは父の言い分。父は腕利きの弁護士を雇い、裁判をして姉の親権を取り、裸同然で憎い妻を追い出したと、自慢げに話す。そこまでして引き取ったのに父は姉を虐待した。
家の中に父の怒声が響き、鈍い音がする。慌てて見に行くと、殴られて顔が腫れ上がった10代の後半の姉が叫び、父ともみ合っている光景を、幼い私はどれだけ見たことだろう。