【書評】『猿の見る夢』/桐野夏生・著/講談社/1700円+税
【評者】香山リカ(精神科医)
主人公・薄井は59歳、大手銀行から出向してそこそこの地位、そこそこの収入。家庭に妻の史代が、外には年下の愛人の美優樹がおり、社内には気になって仕方ない女性・朝川もいる。薄井は女性への接近を試みて、脈ありと感じると意気揚々にこう思う。
「よし、史代とは離婚して、美優樹とも綺麗に別れてやる。そして、朝川を自分の女にしてみせるんだ。薄井は、六十歳を前にして、ようやく人生の真の目標を掴んだ気がした。」
しかし、ことがそんなにうまい具合に運ぶわけはない。社内のちょっとしたもめごとに巻き込まれ、実母の死去と遺産をめぐるゴタゴタなども起き、何もかも事態が停滞し始めると、薄井は今度はこんなことを考える。
「要は、一人になりたいだけなのだ。(中略)ただ、それだけなのに、女にはその心持ちが理解できない。だから、『家には戻らない、帰らない』とうっかり言えば、すわ離婚、とさわぎ立てる。」
あれ、離婚したかったのではなかったのか。読み手としてはあっけにとられるばかりなのだが、そこで驚くのはまだ早い。仕事でもプライベートでもさらに追い詰められて行く薄井は、ついにこんな風に音を上げるのだ。
「正直に言えば、史代も美優樹も朝川も、自分の人生に誰一人欠けても嫌だった。妻と愛人と恋人。だが、このままでは誰一人得られそうにない。」
どうなのだろう。この期に及んでも、男性たちは「気の毒だなあ」と薄井に同情するのだろうか。女性読者はほぼ全員、史代たちがそうであったように、薄井の身勝手さに怒り、あきれ、「顔も見たくない」となるのではないだろうか。
一読後、「これは哀れすぎる五十オトコの小説だ」と思い、今年出した拙著『50オトコはなぜ劣化したのか』(小学館新書)からまさに抜け出たようだ、と感じた。オレはそんな情けない人間じゃないぞと言い張る男性がいたら、ぜひ勇気を出して読んで我が身と照らし合わせてほしい。
※週刊ポスト2016年10月14・21日号