25年ぶりセ・リーグ優勝を果たした広島カープ・緒方孝市監督を“内助の功”で支えたのが、かな子夫人。かつて「中條かな子」として芸能界デビューし、グラビアでも活躍した。かな子夫人が、デビュー当時の思い出と、緒方監督が発した「神ってる」秘話について語った。
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この写真(写真集『Pulin Pulin』・ワニブックス刊に所収)を撮影した1990年当時は、まだ広島から東京に出てきたばかりで芸能界のことは何もわからず、水着の撮影をするからといきなり海外に連れていかれて、売り飛ばされるんじゃないかとただ怖かったです(笑い)。撮影前はお腹が出ないように前日から食べる量に気を付けていましたが……出ていますね(笑い)。
3冊出した写真集は、主人や子どもたちにも見せたことがあります。主人には「今より太っているよね」とか「若いよね」と言われました。娘たちは当時の私と同じぐらいの年齢なので、「自分たちに似ている」とか「お尻が大きいのは遺伝だから仕方ないね。でも自分たちのほうがスタイルがいい」なんて言っていました。
主人が1999年オフにFA権を取得し移籍か残留かで悩んでいる時、話を聞くと「カープで優勝したい」という気持ちが強かったので、「自分の野球人生なので好きなようにしていいよ」と言いました。最終的に主人が自分で決めましたが、その決断が報われて本当に良かったです。
(監督の妻の手本として「神ってる妻」と呼ばれることについて)「神ってる妻」なんて初耳です。ありがとうございます。悪妻ではないと思いますが、言われるほど良妻でもないと思います。主人が野球に専念できるようにお手伝いしているくらいです。
主人が鈴木誠也選手を指して使った「神ってる」という言葉は、もともと次女と長男が使っていたんです。2人がその言葉を主人の前でよく使っていたので、つい言ってしまったんでしょうね。
クライマックスシリーズが始まる前、パパには「これまで通り選手を信じて、自分を信じて頑張ってください」と声をかけました。もう一つ大きな夢が叶うよう、家族で応援しています。
◆緒方かな子(おがた・かなこ):1973年3月4日生まれ。広島市出身。1990年に中條かな子としてデビュー。女優、歌手、パーソナリティとして活躍。1996年に結婚。長女(19)、次女(17)、長男(10)の3児をもうける。趣味の油絵は、2012年の白日会展に入選するほどの腕前。
撮影■山岸伸
※週刊ポスト2016年10月28日号