広島カープ25年ぶりの優勝を新天地で祝福した往年の鯉戦士たちのもとを訪ねた。
1980年の日本シリーズでは第5戦から先発起用され、優秀選手賞を受賞。「パンチョ」の愛称で親しまれ、選手、コーチとして6度の優勝を経験した木下富雄(65)は32歳の頃、自分ではなくティム・アイルランドを先発で使う古葉竹識監督の起用法に不満を抱いていた。
「落ち着いて考えると、どこでも守れて、何番でも打てる自分のような便利な選手はいない。自分が監督でもベンチに置いておきたいと悟りを開いた」
古葉監督が退任する1985年、広島市民球場のトイレで一緒になった。「おまえの給料を抑えていたのは俺だな。毎年、他球団から『レギュラーで使いたい』とトレードの話があったけど、全部断わっていた」と明かされた。自分の野球人生に間違いはなかったと確信できた瞬間だった。
2005年限りで二軍監督を退任後、妻のいとこが始めた焼き鳥チェーン『カープ鳥』の店舗オーナーになった。ある時、見慣れない客が訪れた。二軍監督時代に鍛え抜いて、再生させた東出輝裕の父親だった。「今の息子があるのは、木下さんのおかげです」と感謝された。
「FAせず、広島残留を決めた直後に来てくれた。二軍監督をやらせてもらって良かったなと心底思いましたね」
優勝翌日は焼き鳥全品とドリンクを無料提供し、最大2時間20分待ちに。
「9月は特に忙しくて5キロも痩せた」と笑った。