京都駅から徒歩5分。国道沿いの葬儀場にぞろぞろと入っていく喪服姿の参列者たち。祭壇に飾られた遺影には法被姿で笑顔を見せる男性が写っている。佐々木勝也さん(享年83)。俳優、佐々木蔵之介(48才)の父親である。
10月10日、勝也さんが胃がんで亡くなった。創業123年の老舗『佐々木酒造』の3代目社長だった。同14日、京都市内で営まれた告別式で、蔵之介は涙で何度も言葉を詰まらせながら、こう弔辞を読み上げた。
「生真面目で、厳しい父でした。夕飯ができあがっていても、帳簿が終わるまでは絶対に食べさせてはくれませんでした。小さい頃はいつも、“はよ食べたい、はよ仕事終わって”と思っていました。僕が“役者で生きていく”と言った時、父は落胆し、心底悲しんでいました。父を裏切ってしまった…。そう思いました(後略)」
この父子は「断絶と和解」を経て、誰よりも強い絆で結ばれていた。3人兄弟の次男として生まれた蔵之介。実家は京都市・二条城の至近にあり、生粋の京都っ子として育った。
「お父さんはそりゃもう厳格なかたでね。子供らが悪さをすると、家の蔵に閉じ込めて反省させるような。だから子供は3人とも礼儀正しくて勤勉で、えらい優秀な家庭でした」(近隣住人)
蔵之介は府内きっての進学校として知られる洛南高校を卒業後、神戸大学に入学。東大に進んだ長男が建築業界を志したため、蔵之介は「自分が家業を継ぐ」と決意し、農学部で酒米を学んだ。
しかし、学生時代の蔵之介には、人生を大きく変える出会いがあった。友人に誘われて、軽い気持ちで入部した演劇サークルで、演じることの面白さに目覚め、舞台活動に没頭するようになった。無論、父の跡を継ぐという気持ちは変わらず、卒業後は宣伝のノウハウを学ぶため広告代理店に入社。会社勤めをしながら、アフター5で芝居を続けた。
だが、入社から2年半後、転機が訪れる。東京のある有名劇団から出演オファーが届いたのだ。この舞台に立つには、稽古を含めて3か月以上スケジュールを拘束される。仕事と両立はできない。会社を辞めてでも舞台に出るべきか──。揺れに揺れた蔵之介は、自分の中の熱い想いに従った。
「会社を退職し、舞台俳優として生きていくことを決断したのです。演技の道を中途半端にはできなかったんですね。同時にそれは、家業の跡継ぎを断念することを意味しました」(佐々木家の知人)
蔵之介は勝也さんと対面し、自分の決意を伝えたところ、案の定、激怒された。
「会社辞めると聞いて、ようやく跡を継いでくれるのかと思ったら、芝居に専念するというんだから。ふざけるな!と。裏切られた思いが強かったのでしょう。“二度とおれの前に顔を見せるな!”と、蔵之介さんを勘当してしまったのです」(前出・佐々木家の知人)
父子の断絶は2年に及んだ。この間、跡継ぎは三男に任せることになり、蔵之介の話題は佐々木家のタブーとなった。
「お父さんは意地を張って、蔵之介さんの出入りを許さず、息子が役者をやっていることも近所に黙っていた」(前出・佐々木家の知人)
だが、血の繋がった父子の関係が完全に切れることなどありえない。