博多っ子たちに地元の魅力を語らせるとキリがない。あまりに強すぎる博多愛が、いわゆる「博多ぎらい」を生み出すほどだが、ややこしいのは、福岡と博多という言葉の使い分けだ。他県の人から見れば福岡=博多と同一視しがちだが、狭義には博多は福岡市内の一部地域に限定される。
同じ福岡市内でも、貿易で栄えた商人の町・博多地区と福岡城の城下町だった福岡地区では意識に差がある。中洲の屋台があり、山笠が行なわれる博多地区に対し、百貨店やビルが立ち並ぶ天神を中心とするのが福岡地区で、生粋の博多っ子からすると、「福岡と一緒にするな」となる。
福岡地区出身のタモリは「いちばんセクト主義なのは博多グループ」「いまだに、山笠やってる人がもう、とにかくいちばん頂点」(糸井重里とのネット対談より)と、博多っ子の選民意識を指摘したことがある。
博多地区を舞台にした人情劇『博多っ子純情』の著者で「博多町家」ふるさと館の館長も務める長谷川法世氏はこう言う。
「最近は博多の範囲が広がってますね。博多あまおう(いちご)や博多万能ねぎという具合に、福岡県産に『博多ブランド』を付けることが増えていますが、本来は商人の町の博多に畑なんてあるはずないんです。もっとも、博多の人からすれば、誰が博多を名乗ろうが、他県の人がどう思おうが、自分たちは博多をやっているだけ。そういう独立独歩の精神であって、決して排他的などではありません」
※週刊ポスト2016年10月28日号