市川海老蔵への暴行事件(2010年11月)や、六本木のクラブ殺人事件(2012年9月)などで世を騒がせた半グレ集団・関東連合。その元最高幹部である柴田大輔氏(37)が、自らが関わってきたAVビジネスや芸能界の内幕を実名告白した──。(取材・文/伊藤博敏=ジャーナリスト)
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AVを足がかりに芸能、そしてITで大金を稼ぐようになった柴田氏は、25歳の頃、顧問弁護士に「上場を目指しなさい」と、勧められた。
「本気で働きましたし、人を引っ張る力、マネジメント能力、営業力にも自信が出てきました。年商40億円を達成、従業員も80人を超えていましたから、自分でも一介の経営者のつもりでした。でも、上場はできなかった。関東連合という経歴がネックになったのです」
それでも、関東連合から足を洗うことはできなかった。理由は後に六本木クラブ殺人事件の主犯格として指名手配され、現在逃亡中の関東連合リーダー、見立真一容疑者の存在だった。先輩である見立容疑者には抗えなかった。見立容疑者の下の世代をまとめていた柴田氏は彼からの防波堤という役割も担っていた。
闇金融を手がけていた見立容疑者の事業が斜陽になり、上納金を求められるようになると、ますます柴田氏の気持ちは関東連合から離れていく。さらに2010年には海老蔵事件が起こり、関東連合に対する当局の目が厳しくなった。当時、柴田氏には1億5000万円の年収があったが、家賃60万円の不動産審査に通らず、複数あった証券口座も次々と閉じられていった。
そして決定的となったのが2012年の六本木クラブ殺人事件だった。
「まだ見立君と連絡を取っているメンバーはいるようです。現在、フィリピンの離島にいる彼は、マフィアとも反政府軍団とも言われる人たちに匿われていると聞く。一時期、ペルー国籍を取って逃げ切るという話もあったけど、整形し顔も国籍も変えて日本に密入国する可能性もあるでしょう。
完全に関東連合に対する気持ちは切れた。僕の『関東連合元最高幹部』っていう肩書きは恥ずかしくてしょうがない。一人では喧嘩もできない連中なんですよ。関東連合なんて虚像です」
そんな集団が、「女」と「暴力」を武器に、六本木や西麻布の夜を支配していた。21世紀初頭、東京の片隅で起きた経済裏面史である。
※週刊ポスト2016年11月4日号