今季25年ぶりとなるセ・リーグ制覇を果たした広島東洋カープ。『週刊ポスト』(2016年10月28日号)では、かつて広島で活躍した往年の名選手の今を訪ねている。そのなかの1人に、1984年、1986年、1991年と3度の優勝に貢献した長内孝がいた。
長内は8年目の1983年、阪急から移籍してきた加藤秀司を抑え、一塁のポジションを獲得。以降は、翌年入団の小早川毅彦と激しいポジション争いを繰り広げ、1986年と1989年にはオールスターに出場するなど主力として活躍した。現在は、広島市内の焼き鳥店『カープ鳥』の店舗オーナーとなっている。
そんな長内について、おもしろいエピソードがある。かつての『プロ野球選手名鑑』(日刊スポーツ出版社発行)を開くと、長内の特技欄には、『アグネス・チャンの物まね』(特技欄のできた1979年から1988年まで)と書かれていた。
現在の選手名鑑は、選手がアンケートに答える形式が主流だが、かつては担当記者が取材をした上でひとりひとりの選手の項目を埋めていた。
そのため、同じく元広島の木下富雄のクセ・ゲンかつぎ欄には『自慢のヒゲをピクつかせる』(1983年版。以下同)、今井譲二の特技欄には『魚屋の息子だけに魚の名前当て、料理がうまい』など、選手自身に書かせていたらとても出てこないような記述も多かった。
本人発でないため、信じていいものかという疑念もある。強面の長内が、耳が痛くなるような高音でアグネス・チャンの歌を歌う姿は想像つきにくい。この特技は本当なのか。本人に直撃した。
「昔、チームがバスで移動する時、若手は芸をやらされたんですよ。何かやれと言われるから、アグネス・チャンのものまねをしていたんです」
長内が中学3年時の1972年11月、アグネス・チャンは『ひなげしの花』でデビュー。当時、全国的に流行したものまねを長内も取り入れていたわけだ。
1980年代当時、プロ野球チームは関東圏と関西圏に集中しており、広島は他チームよりも移動の機会が多かった。頻繁に訪れる移動時間をどう過ごすかはチームにとって、大きな課題の1つとなる。
退屈な時間となりがちな遠征先のバス移動で、長内の風貌からアグネス・チャンのものまねが繰り出されれば、車内は大爆笑になる。長内はそういった意味でも、チームの雰囲気作りに貢献していたのだろう。
ちなみに、当時のレギュラー捕手である達川光男の特技欄には『話術抜群、遠征のバスの中ではマイク独占』と書かれていた。達川がしゃべりで盛り上げた後に、長内がアグネス・チャンのものまねでトドメを刺すというパターンが広島の中で出来上がっていたのかもしれない。(文中敬称略)
撮影■藤岡雅樹