今年で開館20周年を迎える『相田みつを美術館』(東京・丸の内)が熱い。老若男女、幅広い層の来訪者のなかには、書の前に立ち尽くし、徐おもむろに涙する人も少なくない。相田みつをが亡くなってから25年。禅に学んだ彼が抱き続けた思いは、詩となり、書という形で昇華され、世に広まった。魂を込めたその思いは薄れることなく、歳月を重ねる毎ごとに強く熱くなり、百年、二百年後にまで伝播しようとしている。
「にんげんだもの」など、誰もが一度はあの独特な文字と言葉を目にしたことがあるだろう。 今や、小中学校の教科書に多くの作品が収録され、書店にコーナーが作られたりして多くの人に親しまれているが、相田みつを本人については、ほとんど知られていないのが現状かもしれない。
作品自体は、年々多くの人に知れわたり、はとバスツアーで訪れる外国人観光客や修学旅行で訪れる学生、定期的に訪れるリピーターと、実にさまざまな人たちが美術館に足を運んでいる。
没後25年経った今でも、彼の言葉が人の心を揺さぶり続けるその理由とは。初めて“みつを”と書かれた書を見たのは、居酒屋のトイレだった…というかたも少なくないのでは?
みつをは当初、自分の作品は印刷物ではなく原作現物を見てもらいたいと考えていた。そのため、出版物として披露することを拒み続けた。そんな彼がデビューしたのは、書家・詩人として自分の道を歩き続けて30年後、60才の時だった。デビュー作となった『にんげんだもの』(文化出版局)は1984年初版、以降ロングセラーとなっている。
原作にこだわる一方、「日常の生活の中で、自分の作品にさり気なく触れてほしい」という思いも彼にはあった。そこから生まれたのが、31点作品がつまった『トイレ用日めくり ひとりしずか』だった。
生涯をかけて鎌倉時代の禅僧・道元禅師の教えを学んだみつをは、禅師の書である「正法眼蔵」のなかにあるトイレの重要さを説いた「洗浄」の巻に触発された。