今年で開館20周年を迎える『相田みつを美術館』(東京・丸の内)が熱い。老若男女、幅広い層の来訪者のなかには、書の前に立ち尽くし、徐おもむろに涙する人も少なくない。800万人が涙した理由とは?
みつをは端正な顔立ちとすらりとした長身で、女性にたいそうモテたそう。若い頃、映画俳優のオーディションに受かったことがあるほどのイケメンだったが、映画俳優にはならず、書家としての道を選んだ。
そして、短歌の会で知り合った妻と30才で結婚。4才年下の妻は名家のお嬢様で、収入のないみつをとの結婚を親に猛反対されたが、それを押し切って結婚し、彼が亡くなるまで献身的に支え続けた。
小説家には“〇年の沈黙を破る傑作”といった謳い文句があったりするが、書家にそんなことは絶対にありえない、とみつをは言い切った。書家は「1日書を休めば、取り戻すのに10日かかる」が口癖で、1日たりとも書くことを怠らなかった。
「空中にイメージで書くと理想の書が書けるのに、実際、紙に書くとダメだ」と、理想を生涯追求し続けたみつをは「腕が動かなくなるのが致命傷」と言い、休んでいる間、寝ている間も天井に向かって手を動かし続けた。
書は絵画と違って一発勝負。一筆に全身全霊をこめ、常に本気で挑み続けていたという。いつでも本気で書に挑んでいたみつをは、練習のために新聞紙や質を落とした紙に書くことはなく、すべて本番の高級紙を使用し、一晩で1反(約46m)使い果たすことも。
地方で書家というと習字の先生が多く、教えれば多少の収入にもなるが、彼は生涯弟子を取らなかった。個展で作品が売れる以外に収入はなかったが、作品は長いこと売れず、準備と費用をかけて個展を開いても、足が出るだけだったという。
そんな状況で紙代が支払えるはずもなく、才能を信じてくれた紙屋が何か月も支払いを待ってくれたという。
一晩で天井まで届くほどの勢いで溜まる山のようなボツ紙は、お風呂を沸かしたり、しごいてトイレのちり紙として使うなどして二次利用。トイレに行った来客は真っ黒のちり紙を見て、便意が引っ込んだという逸話もある。
※女性セブン2016年11月10日号