コラムニストでデイトレーダーの木村和久氏が、近頃気になるニュースをピックアップし独自の視点で読み解きます。今回は、紛糾する東京五輪問題に提言。
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最近の2020年東京五輪の話題は、競技施設の拡充と、レガシー化でしょうか。小池都知事の予算削減策に対し、体制派が予算獲得とレガシーをアピールし、対決姿勢が鮮明になっています。気になるのは、各スポーツ連盟のくれくれ攻撃です。世界基準の一流コースや会場を作ってほしいと、大合唱をしています。
言うはたやすい、です。でも予算は都だろうが、国だろうが税金から支出します。我々の税金を、たった2~3週間の競技のために、大量投入していいのでしょうか? 「いや、これはレガシーとして恒久施設にする」といいますけど、それが実に怪しいのです。
長野五輪のボブスレー、リュージュ競技場も、韓国の冬の五輪以降は取り壊しの方向です。そもそも、1964年の東京五輪で使用した国立競技場を壊しておいて、レガシーもないでしょう。ロサンゼルスオリンピックは、1932年建設の競技場を1984年に再利用しています。やればできるのです。未だスクラップ&ビルドの考えで、物事を推し進めるのは、時代遅れに思えます。
そんなわけで、1964年の東京五輪の予算とレガシーを検証し、2020年の東京五輪はどうあるべきか、考えてみたいと思います。
1964年東京五輪の総予算は、ざっと1兆円と言われています。現在の貨幣価値に換算すると約4兆~5兆円(日銀の統計、家計支出&物価指数の変遷では当時の4.1倍)となります。当時の一般会計の3割もの支出があったと言われ、莫大なお金がかかりました。しかし、競技関係の設備費は、400億円弱と意外に少ないのです。64年の東京五輪で一番お金がかかったのは、インフラ関係です。東海道新幹線が、東京五輪開会式の10日前に開通。同様に東京モノレールを始め、首都高、環状7号線、日本武道館、岸体育館、駒沢競技場などがオリンピック直前に次々と完成し、今もレガシーとして見事に残っています。
その中でも白眉なのは、東海道新幹線でしょう。旧国鉄内からですら新幹線は不要と言われ、それをひとりで跳ね除け、東京五輪までに絶対開通させると奔走したのが、第4代国鉄総裁の十河信二です。3000億円という国家予算の1割以上のお金が必要と分かり、予算の半分で提示し、閣議決定を先行させた。予算不足で頓挫はいけないので、世界銀行からお金を借り、国家レベルの約束事にして無理やり開通させた伝説の人です。
後に彼は予算オーバーの責任を取り、総裁を辞め開通式に呼ばれていません。しかし、国鉄マンからは、“新幹線の父”として慕われました。亡くなって故郷・愛媛県の新居浜に遺骨が戻るときは、新幹線のグリーン車に安置所が設けられ、窓際には遺影が飾られます。各駅に停まるたび、多数の駅員が敬礼で見送ったそうです。
右肩上がりの高度経済成長時期だから、予算オーバーでも切り抜けられた。新幹線計画は、その典型でありましょう。