10月27日、三笠宮崇仁さまが100才という長い人生に幕を下ろされた。皇室に残っている記録上の最長寿。昭和天皇の末弟は「大殿下」の愛称で親しまれ、天皇皇后両陛下も厚い信頼を寄せられていた。
実は逝去される5日前の10月22日、ご入院先の病室では、ささやかなお祝いが開かれていたという。
「この日は、三笠宮さまと妻・百合子さまの75回目の結婚記念日だったのです。娘の近衞甯子(やすこ)さんと千容子(せん・まさこ)さんも駆けつけて喜びの日をご一緒に祝われたそうで、三笠宮さまも笑顔を浮かべられていたといいます」(宮内庁関係者)
最期の時も、生涯の伴侶・百合子さまに見守られながら迎えられた三笠宮さま。一方で、長くお心に懊悩も抱えられていた。
「三笠宮さまの長男で2012年に亡くなられた寛仁さまの妻・信子さまと、孫に当たる彬子さまとの母娘の確執です。2004年の寛仁さまと信子さまの別居以降、信子さまと彬子さまの関係にも大きな亀裂が入り、断絶期間は10年以上にわたって続いているといいます」(皇室ジャーナリスト)
一部では、彬子さまが信子さまを三笠宮家から追放する“クーデター”を計画しているという報道がなされたほどだった。
「三笠宮さまの葬儀も、喪主は百合子さまですが、ご高齢ということもあり実質取り仕切るのは彬子さま。“長男の嫁”であるはずの信子さまの存在が忘れ去られたように扱われているのに違和感を拭えず、関係は疎遠なままなのがうかがえます」(前出・皇室ジャーナリスト)
母娘の雪解けの到来は、しばらく訪れそうにない。
※女性セブン2016年11月17日号