漫才コンビ「ザ・ぼんち」の東京ライブを見に出かけた。大阪、名古屋、東京の三都市ライブの最終日だ。観客は中高年中心で、漫才ブームのとき、若者だったであろう人たちだ。中には子連れもいて、会場の新宿ルミネはほぼ満席だ。ザ・ぼんちの里見まさと(64)は嬉しそうに語った。
「東京でのライブは、35年ぶり(1981)ですわ。武道館でしたとき以来です」
武道館とルミネでは規模が違いすぎるが、450席ほどのルミネは客席との距離がちょうど良い。これが武道館だと席によっては漫才師が点にしか見えないし、音も反響して漫才が聞こえにくくなる。つまり、武道館で漫才ライブをやる方が狂っていたのだ。
今では考えられないが、当時、ザ・ぼんちはアイドル並みの人気を誇っていたからできた武道館だった。そして今はもう、二人とも還暦を過ぎた大ベテランだ。そうした意味では、東京の小劇場に戻ってきたザ・ぼんちは、漫才の原点に戻ったのだといえる。
「ぼくらは大阪で育って、東京で売ってもらった漫才師です。でも東京は正直、しんどい。東京の前に大阪と名古屋でライブしてますけど、大阪・名古屋はお客さんをひっくり返したろと思ったし、できると思ってた。だけど東京では、そんな計算ができない」
確かに東京の客は大阪とは違い、おしなべて大人しいと言われる。つまり芸人としてはやりにくい客だ。
しかし80年代の漫才ブームと比べ、若手から中堅の漫才師もどっと増えた。里見まさとが弟子入りした頃(1971年)は、吉本の若手漫才師はたった四人しかいなかった。それが現在、吉本興業だけで漫才師は3000組いると言われている。当然、東京の笑いの質も量も変わった。もちろん、里見まさとも変わった。
伝説となった武道館ライブから五年後にコンビは解散、一時は職も失った。そこから起死回生の亀山房代との新漫才コンビ結成と、亀山の死。2003年にザ・ぼんちを再結成する頃には、落語や講談にも挑戦して腕をみがいてきた。
「今回の東京では、武道館ライブの再来ですか? とよく訊かれましたが、全然違いますよ。地獄も見たし、ぼくらも歳をとりました。還暦ライブ、結成40周年ライブやって、ようやく手ごたえを感じることができるようになった。ようここまで戻ってきたなという感じです」
昨年の上方漫才大賞では、テンダラー、NON STYLEら若手に交じって久しぶりに賞レースに参加した。
「昨年までは賞とかも狙ってましたけど、ようやく形になってきたかなと思うてるんです」
●文/上原善広(ノンフィクション作家)
※SAPIO2016年12月号