昭和48年に創業したラブホテルの老舗『目黒エンペラー』(東京・目黒区)は、“お城”という奇抜な外観で、多くのテレビや雑誌に登場した。その後、日本各地にゴージャスなラブホテルが次々と建ち、連日盛況を極めた。
かすかな憧れと恥じらいを孕んだ性愛空間、あの懐かしい場所は、2020年東京五輪までにどう変わっていくのか――。昭和ラブホテルの変遷と“今”を取材した。
◆東京・目黒に現れた“城”が歴史を変えた
「目黒エンペラーは、日本のラブホテルを語る上で外せない歴史的な存在です。当時は深夜番組をはじめマスコミで大々的に取り上げられ、そこに泊まるのが若者たちのステイタスでした」
こう語るのは、『ラブホテル進化論』(文春新書)などの著書がある、神戸学院大学講師・金益見(きむ・いっきょん)さんだ。
「目黒エンペラーが登場した昭和48年当時は、電信柱に貼り紙するくらいしか宣伝方法がなかったんです。それが、建物をお城の形にしたらひと目で分かるわけです。建物そのものがラブホテルを表す暗黙のメッセージとして、広告になった。これ以降、全国に城が建つ現象が起きました」
総工費6億5000万円という豪華な建物と話題性で、当時マスコミがこぞって取り上げた。バブル時代へと続くラブホテル隆盛時代の幕開けだった。ラブホテルという呼び名が定着したのも目黒エンペラーが深夜番組で取り上げられるようになってからといわれる。
◆古くは連れ込み旅館 名前を変えて進化
戦後間もない頃は、男性が女性を連れ込む“連れ込み旅館”、宿に付けられた温泉マークから“逆さクラゲ”などの隠語で呼ばれていた。
【ラブホテル呼称の変遷】
1940年代 「連れ込み旅館」
1950年代 「温泉マーク」「逆さクラゲ」
1960年代 「スリーエス」
1970年代 「モーテル」「ラブホテル」
1980年代 「ファッションホテル」「レジャーホテル」など
2000年代 「ラブホ」
「昭和のホテルには、これは何のために? という面白い装置がたくさんありました。意匠を凝らしたベッドやお風呂、かつて目黒エンペラーにはシースルーのゴンドラがあった(笑い)。昭和の時代にお金をかけて作った一見無駄とも思えるものこそ、人々を豊かな気持ちにさせてくれていたんだと思います」(金さん)
まだラブホテルという呼び名が生まれる前から続く、昭和ロマンを感じられる建物も現存する。大阪の『ホテル富貴』は、築50年を超えてなお、根強いファンがいる。
※女性セブン2016年11月17日号