評論家の呉智英氏
しばらく前、沖縄で機動隊員が活動家たちを差別語で怒鳴りつけたとニュースになった。最近、ネットでもリアルでも「差別認定」が盛んだ。評論家の呉智英氏が、差別語と呼ばれる言葉について、どのように解釈すべきなのかを改めて考えた。
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先月、沖縄の米軍ヘリパッド移設工事に反対する活動家たちを、警備の機動隊員が「土人」とか「支那人」とか呼んだとして議論が起きている。議論といっても、無知な者が無知な者を論難しているだけだから、何の深化もない。
「支那」問題については、私は全共闘の学生だった頃から、支那は「支那」だと言い続けてきた。世界共通語である「支那」が日本でだけ禁圧される差別性を批判してきたのだ。ここではごく短く今回の事件について一言しておこう。
機動隊員は「支那人」を侮蔑的な意味で使ったらしいが、これがそもそも無知である。支那人を侮辱する言葉は別にある。そんなことさえ知らないのだ。どうせなら「ヤンキー」と罵ってやればよかった。ヤンキーはアメリカ人の俗称・蔑称であるのと同時に、不良青年や愚連隊の意味でも使われる。米軍施設反対運動の連中をヤンキーだなんて、面白いじゃないか。
もう一つの「土人」についても、私は三十年以上前から何の問題もないと主張してきた。事実、当時普通に使われていた言葉である。
研究社の『新簡約英和辞典』(1956年初版)は名辞書の誉高く、長期に亘って重版が続いた。版が切れた1980年代に入っても、古本屋で人気商品だった。この辞典でIndianを引くと「インド人」の他に「アメリカ土人」と出てくる。インディアンはアメリカ土着の人だからである。白人は渡来人なのだ。当然、奴隷として連れて来られた黒人は土人ではない。「土人」からはこれだけの意味を読み取ることができる。