1989年の天安門事件で民主化運動の武力弾圧を主導した中国の李鵬元首相(88)が10月初旬、体調不良で北京の中国人民解放軍直属の医療機関である301病院に入院し、心臓病などの合併症で一時危篤状態に陥っていたことが分かった。米国を拠点にする中国問題専門の華字ニュースサイト「博聞新聞網」が中国共産党幹部の話として報じた。
李氏については、香港誌「明鏡」系のニュースサイトが10月下旬、同18日に死去したとの情報があると伝えており、情報が錯綜している。
李氏は自宅で転倒し、起き上がれなくなり、救急車で301病院に緊急搬送されたという。診察の結果、大腿部や腕を骨折しており、そのまま入院したが、その後、持病の心臓発作を起こしたことから、病院側は一時、危篤状態であると家族に通告。しかし、その後持ち直したものの、いまも入院中とされる。
301病院は要人専用で、かつてはトウ小平氏や江沢民氏も入院し治療を受けており、トウ氏は同病院で死亡した。
李氏の容態については、同病院の関係者から党上層部に報告がなされており、それが香港メディアなどに漏れたとみられる。
一方、香港誌「明鏡」(電子版)は10月21日、李氏が同病院で膀胱がんのため、同18日に死去したと報じた。
しかし、中国国営新華社通信などの中国の公式メディアが報じなかったことから、これは18日からフィリピンのドゥテルテ大統領が中国入りしているため、公式発表を遅らせている可能性があるとの観測が流れていた。
李氏は1928年10月生まれで、首相や全国人民代表大会(全人代=国会に相当)委員長や党政治局常務委員などを歴任。1989年春の北京の学生を中心とする民主化要求運動では一貫して強硬姿勢をとり、北京市に戒厳令を敷き、6月の天安門事件では軍の導入を強硬に主張し、民主化を要求する市民や学生から多数の死者を出した。
事件からすでに27年が経過しているにもかかわらず、海外メディアで紹介される時には、「天安門事件の李鵬」などと紹介されがちだ。
このため、ネット上では「憎まれっ子世に憚るだな。それでなくても、もう88歳で長生きなのに」などの書き込みがみられる。