「マッチプレーの鬼」と呼ばれた高橋勝成氏
スポーツに「筋書き」はない。だからこそ、ある時は信じられない大逆転劇が観衆を沸き立たせ、ある時は予想だにしていなかった悲劇が起きる。ファンの脳裏に刻まれた数々の大逆転劇・大番狂わせ──その瞬間、選手たちには何が起きていたのか。1987年5月17日、第13回日本プロゴルフマッチプレー選手権決勝で、ジャンボ尾崎と激闘を繰り広げ、見事勝利した“マッチプレーの鬼”高橋勝成氏が、名勝負を振り返る。
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決勝前夜、「どうすれば勝てるか」をずっと考えていましたが、実績も技術もジャンボさんが上。ドライバーの飛距離は30ヤード、セカンドの番手は3つも違う。
勝てる要素が見当たらなかったからこそ、“相手は別次元”と割り切ることにした。ショートホールの番手も、ドライバーの攻略ルートも違って当然。失うものはないから自分のゴルフをやろうと考えると、すごく楽になりましたね。対等に勝負できるのはパットだけ。バーディが取れる距離に寄せることだけ考えて胸を借りました。
36ホールの長丁場。私が林の中からバフィー(4W)を折りながら打ったショットがグリーンエッジまで届いたり、ジャンボさんのドライバーがOBゾーンから木に当たって戻っていたのに、それを知らずにギブアップしてしまったりと予想外のことばかり。
33ホール目からは奇跡の連続です。ジャンボさんがグリーンを外し、“これで勝った”と思ったら8メートルのパットを決められ、36ホール目には50ヤードからピン横2センチに寄せる神技を見せられ、土壇場で追いつかれてしまう。
エキストラの1ホール目、私が2メートルのパットを入れ、ジャンボさんが1.8メートルを外して決着。奇跡続きで、終盤はもう一人の自分がプレーしているようでした。最後のパットはジャンボさんのこの日唯一のミス。だから今でも相手に実力で勝ったとは思っていません。
撮影■作田祥一
※週刊ポスト2016年11月18日号