NHK大河ドラマ『真田丸』はついにクランクアップを迎え、年末の最終回が迫ってきた。堺雅人が演じる真田幸村はどのような“最期の時”を迎えるのか。脚本家・三谷幸喜の描いたシナリオに迫るため、研究者の間でも諸説ある幸村の“死に様”についてひもといていく──。
クライマックスが迫る『真田丸』は、これからの放送回で主人公の真田幸村が大坂夏の陣で大武功を立てる姿が描かれる。そして、その先にあるのは豊臣の敗北と幸村の死だ。その悲劇の運命がどう描かれるのか。見る側の熱は回を重ねるごとに高まっている。大阪城天守閣館長・北川央氏がいう。
「『大坂夏の陣』で幸村は徳川家康(内野聖陽)の本陣を突きます。その勇猛さは、死後に徳川方の資料にすら『敵ながらあっぱれ』と書かれたほどの凄まじいものだったとされています」
これまで知略を巡らせる場面が多かった幸村の戦闘シーンとともに興味をそそられるのが幸村の最期だ。
研究者の間では、家康軍に敗れ、ボロボロになって敗走するうちに松平忠直軍の兵に討たれた、というのが定説になっている。松平忠直は徳川秀忠(星野源)の娘を正室に迎えた大名である。1672年頃に二階堂行憲によって書かれた『難波戦記』や江戸中期に記された『真田三代記』にその死に様が残されている。歴史研究家で多摩大学客員教授の河合敦氏が語る。
「満身創痍の幸村は現在の大阪市天王寺区にある安居神社の松の木の根元で休息を取っているときに、松平忠直の部下で鉄砲頭の西尾仁左衛門によって討ち取られたとされています。幸村は『この首を手柄にせよ』といって、抵抗しなかった。これが一般的に知られている幸村の最期です」
定説とはいえ、あっさりとした降伏をドラマチックに見せるのは、難しそうだ。実は、この定説以外にも、三谷氏にとって“選択肢”となる諸説が存在する。その一つが、首を差し出さず、最後まで戦い抜いたという説だ。歴史研究家の井手窪剛氏は次のように語る。