【書評】『本人に訊く〈壱〉よろしく懐旧篇』椎名誠、目黒考二・著/椎名誠旅する文学館/2200円+税
【評者】坪内祐三(評論家)
世界的に類を見ない本が出た。椎名誠と目黒考二は去年四十周年を迎えた『本の雑誌』の創刊からの盟友だ(知り合ったのはもっと前)。私は一九七七年からの『本の雑誌』の読者だから椎名誠の大ブレイク振りをよく憶えている。これほど単行本デビューが待たれていた著者はいなかった。
『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局)が一九七九年十一月に刊行され、一躍昭和軽薄体(この言葉を椎名誠が生み出したことを本書によって初めて知った)がブームになる(一九八二年秋に私は文春の入社試験を受けたがその時の試験問題で「知る所を記せ」と出題された)。以来今日まで二百五十冊以上(文庫本は除く)の著書が出、そのすべてについて目黒考二が訊いていくのだ。
その第一弾の本書は『さらば~』から『はるさきのへび』(一九九四年)に至る七十八冊だ。盟友であっても馴れ合いでない。むしろ盟友であればこそ率直だ。「はじめに」で目黒考二は椎名誠の初期作品の一部について、「当時は面白く読んでいたのだが、今読むとそれが信じられないほど、退屈で痛々しいのだ」と書く。
だから椎名誠にも、「『さらば国分寺書店のオババ』のようなものをずっと書いていたら、椎名は消えていっただろうな(笑)」と言う。それに対して、かなり短気な椎名誠が、「よく残ってるよな」と答える所に二人の関係の深さがうかがえる。
だからこそ、『哀愁の町に霧が降るのだ』についての「今回三十年ぶりに読んでみて、すごく面白かった。というのは語り手である椎名青年というのか少年が、ひたすら暗いんだよ。その暗さが際立っている」という言葉が説得力を持つ。そういえばこの作品を書いた椎名誠のことを“自殺を禁じられた太宰治”と呼んだのはあの吉本隆明だ。
それから目黒考二、「これは面白かった。というのは、実はおれ、単行本の時に読んでいなかったんだ」というのは『風景進化論』。
※週刊ポスト2016年11月18日号