夫婦の純愛と家族の愛情を描いた映画『八重子のハミング』が公開され話題になっている。原作は、5度のがん手術から生還した陽(みなみ)信孝さん(77才)が、若年性アルツハイマーの妻・八重子さん(享年65)を介護する日々を短歌とともに綴った同名手記(2014年、小学館刊)。14年もの月日を経て、多くの人の胸を揺さぶっている──。
2025年には4人に1人が75才以上になるという超高齢化社会の中で、日本国内の認知症患者は全国に500万人と推定され、その数は増加の一途を辿っている。それゆえ親、夫、あるいは妻の介護を、どこでどのようにしていくかは、誰にとっても他人事ではない。
国は総力を挙げて、この未曾有の介護問題に取り組んでいることを喧伝するものの、同時に新たな問題が噴出しているのが現状だ。テレビや新聞、雑誌で、繰り返し特集が組まれるが、どこにも正解はなく、だからこそ私たちはいつも悩み、苦しんでいる。
今のように情報もなければ、サービスも選択肢もなかった時代に、どのように在宅介護をし、どのように最期を看取ったか? 陽さんが八重子さんと過ごした日々は、私たちの胸に多くのことを訴えかける。
◆同じこと 繰り返し問ふ 妻の日ひ々び 繰り返し答ふ
陽さんは、山口県萩市生まれ。県内で30年以上教職に携わり、小・中学校の校長を歴任。音楽と家庭科の教師だった八重子さんとは、県内の中学校で知り合い、1963年に結婚、3人の娘がいる。
1989年、初孫の孝一朗さん(27才)が誕生したのを機に八重子さんは退職。孫の面倒を見ながら、のんびり旅行をするなど夫婦の時間を持っていこうと思っていた矢先の1991年、陽さんを突然の病魔が襲う。胃がんと宣告され、手術で胃の4分の3を摘出した。
夫の病気によるショックからか、八重子さんにも異変が起こる。53才でアルツハイマーを発病したのだ。陽さんは高齢の母親(2004年、93才で他界)や、娘夫婦の協力を得ながら、病身を押して妻の介護を始めた。
「当時は若年性アルツハイマーって何? という時代やったから、施設に預けられなかったという事情もあった。若年性アルツハイマーは、瞬間的なショックで脳細胞が縮み続けて、赤ちゃんの脳になって亡くなるんです」(陽さん)