【書評】『近代はやり唄集』/倉田喜弘・編/岩波文庫/640円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
明治から大正にかけて世に風靡した唄のアンソロジーである。街角や座敷で歌われたものから、芝居や映画の唄まで、全一二七曲。
それぞれの唄また歌詞に注釈がついていて、がぜんおもしろくなった。おなじみの「みやさんみやさん、御馬の前でチラチラするのはなんヂヤイナ」。日本近代化の始まりに歌われた「宮さん」(一八六八年)の囃し言葉はトコ・トン・ヤレ・トンヤレナと思いこんでいたが、それはまちがい。
正しくは「トコトン、ヤレ、トンヤレナ」。徹底してやれ、やっつけろ。「にしきの御旗」を手にした連中の勇み立ちぶりが見てとれる。作者は長州人品川弥二郎。「なんヂヤイナ」などとヘンな歌詞だが、長州弁ではふつうの言い方。「官軍」の唄がいかに地方色をおびていたかがわかるのだ。
「西郷隆盛や枕が入らぬ/入らぬ筈だよ首が無い」(一八七七年)
昨日の英雄は今日の賊臣。自決のあと西郷の首は屍のそばに埋められ「微く頭髪を露す」状態だったらしい。西郷の身近にいた誰かが官軍に知らせたのだ。歴史の裏面がまざまざと見えてくる。
明治期最大のヒット歌謡は川上音二郎自作自演の「オツペケペーぶし」(一八八九年)。「権利幸福きらいな人に/自由湯をば飲ませたい」。高らかに自由を訴えたが検閲を免れたのは、弾圧といった言葉を使わず、「きらい」と平易につつみこんだせいという。明治のシンガーソングライターの並々ならぬ時代センスがのぞいている。そして先に新聞で見つけていた「オツペケペ、ペツポツポー」をちゃっかりと採用した。
明治一代、息せき切った近代化の所産を、明治末年の唄がみごとに要約している。添田唖蝉坊作「あゝ金の世や金の世や/地獄の沙汰も金次第/笑ふも金よ泣くも○/一も二も金三も金」。近代バラードの傑作ながら、歌詞の三番以後は禁止され、印本は差し押さえられた。まさしく「唄は世につれ」である。はやり唄を通してこの日本という国の時代相が、あきれるほど克明に見えてくる。
※週刊ポスト2016年11月18日号