【書評】『株式会社の終焉』水野和夫・著/ディスカヴァー・トゥエンティワン/1100円+税
【評者】森永卓郎(経済アナリスト)
本書は、アベノミクスの金融緩和批判から始まる。莫大な金融緩和を行ったにもかかわらず、物価が下落しているのは、そもそも金融緩和で物価を上げようとすること自体が、間違っていたというのだ。ここは、いつもの水野節なのだが、そこから話は、資本主義そのものの批判へと急展開していく。
中世まで、ローマ教会は利息を取ることを厳禁していた。資本は利潤を追求し、しかも人間と違って不滅の命を持つから、資本がどんどん蓄積して、巨大な力を持ってしまうからだ。
しかし、資本の力に籠絡された教会がタガをゆるめると、資本は巨大化の一途をたどり、近代資本主義が確立する。本書では、その歴史がていねいに分析されている。そして、その歴史認識にもとづいて、あるべき経済の姿を提言するというのが、本書のおおまかなストーリーだ。だから、本書は経済に関する歴史学であり、哲学であると言ってもよいだろう。
どうやらエコノミストは進化を重ねると、そうなるらしい。マルクス経済学は、歴史学と哲学でできている。私に経済予測を教えてくれた金森久雄は晩年、「どんな長い雨も必ず止む」と景気回復を唱え、並木信義は「禍福はあざなえる縄のごとし」と同調した。
著者のたどり着いた哲学は、「より速く、より遠く、より合理的に」という資本主義の基本を「よりゆっくり、より近く、より寛容に」に転換することだという。
地球は有限だから、資本の無限増殖は不可能だ。超音速のコンコルドが運航を停止し、合理主義から生まれた原発も限界を迎えている。成長幻想から脱却しなければならないと著者は言うのだ。
著者の処方箋は、労働分配率を引き上げ、過剰に積み上がった内部留保に課税することだ。さらに、企業は現金配当をやめて、自社製品で配当をすべきだという。私は、それらの対策には、全面的に賛成だが、問題は、資本に完全支配されている政治や国民をどう変えるかだ。次回作では、ぜひそこを読んでみたい。
※週刊ポスト2016年11月25日号