18年前、29歳の若さでこの世を去った村山聖九段。その生涯を描いたベストセラーノンフィクション『聖の青春』が映画化される。濃密な時間を共に過ごした原作者・大崎善生氏が天才棋士の知られざる素顔を綴る。
* * *
その日は大阪で仕事があり、大阪に行ったときは決まってそうするように、夜遅くまで森信雄七段と飲んでいた。関西将棋会館のある福島界隈である。泊まるのはいつも森さんのマンション。東京へ森さんが来たときは必ず私の部屋へ、長い時には1週間以上もともに過ごした。
1987年の2月。真冬の途轍もなく寒い日のことで、震えながら歩く私と森さんに向かって並木道の向こうから一人の青年が歩いてきた。上福島にあるザ・シンフォニーホールの並木道。青年を見つけると森さんはすぐに満面の笑みになり「あっ、村山君や」と叫んで駆け寄っていった。そして手をさすったりほっぺたを触ったりしている。
「この人、東京の大崎さんや。ほっぺた触ってもらい」。私は言われるままに青年のほっぺたに手を差し伸べた。青年は照れくさそうにはにかんだ。まん丸い顔の奥に光る意志的な黒い瞳が愛らしかった。全部で時間にして1、2分のこと。それが村山聖と私とのはじめての出会いだった。もうかれこれ30年も前のことになる。
17歳で新四段。プロになってすぐに50人もの大人数からなるC級2組順位戦を、最下位だった村山は何と50人を一気にごぼう抜きし、たった1期で駆け抜けてみせた。この頃から東に羽生善治という天才少年がいれば、西には村山という恐ろしい怪童がいる、そう東京の編集部にまで響き渡った。デビュー1年目には12勝1敗、勝率9割2分3厘という驚異的な数字を残した。
当時の将棋界には恐ろしい革命が起きつつあった。羽生善治を先頭とする天才集団が、将棋界のこれまであった常識や理屈のようなものを、白星だけを武器にすべて塗り替えていこうとしていた。しかも羽生一人ではなく、森内俊之、佐藤康光、郷田真隆といった俊英が続いた。
羽生世代といわれる彼らは、皆スマートで格好良く、まるで将棋界にビートルズが現われたようだった。そう思えば西からふらりとやってきて、バッタバッタと敵をなぎ倒して帰っていく村山は、孤高のボブ・ディランといったところか。