活躍すれば億単位の年俸を手にできるプロ野球の世界だが、持てる者ならではの悩みもある。それは税金だ。税金は前年の収入から計算されるため、翌年収入が大幅減になるととんだ出費になってしまうのである。1982年、報徳学園から近鉄へドラフト1位で入団した金村義明氏はこういう。
「僕は1995年にFAで中日に行きましたが、移籍1年目に故障して数字が残せず大幅減俸、2年目もダメで年俸がほぼ半減してしまったんです。星野(仙一)監督に声を掛けられ、意気揚々と大阪から家族5人で名古屋に乗り込んだのに、そりゃ苦しかったですよ」
その後トレードに出され、現役最後の3年間は西武でプレー。2年連続リーグ優勝のメンバーに加わって年俸は上がったが、引退後にも苦労は待ち受けていた。
「野球評論家を目指して12球団すべてを取材しようと自腹でキャンプ地を行脚したんです。駆け出しの評論家には仕事も少なくてやはり苦しかった。引退2年目のキャンプでは、そのあたりの事情を知った近鉄時代の恩師・仰木(彬)監督が食事の席で“コーチとして呼んでやれへん代わりに”といって、ポンと100万円下さったんですよ。ありがたかったなぁ」
加えて、今も昔もプロ野球選手が陥る税金の“罠”として、入団時の契約金がある。それまでに経験したことのない金額を手にして、失敗を犯すケースが間々あるのだ。明大から1985年にドラ1でヤクルトに入団した広澤克実氏がいう。
「ボクは契約金8000万円で入団したんですが、振り込まれたのは6000万円ほど。“2000万円も税金を取られるのか”と驚きながら、“これで払い切った”と勘違いしてしまった。それまで大金を持ったことがないから、親や恩師に御礼の品を買ったりとバンバン使っていたところ、次の年にさらに2000万円の税金を払えという話になった。とにかく無知でしたね。それを払ったら契約金がキレイさっぱりなくなった(苦笑)」
※週刊ポスト2016年11月25日号