年齢、性別、恰好を伝えた時点で、地域住民は次の言葉に予想がつく。《行方が、分からなく、なっております》──全国各地の防災無線から、徘徊老人の捜索願いが流れない日はない。
「あぁ、またか」。他人事のように思いながら、ふとわれに返り足がすくむ。脚本家の橋田壽賀子(91才)もその一人だった。
「何才で背格好はこのくらいで、と。まぁよく流れてくる。私が住んでいるのは都会ではなく山の中。大勢で山狩りをしても見つからない、なんてことがままあります。この年になると、明日はわが身です。認知症が発症しない保証はどこにもない。自分がもし何の自覚もないまま多くの人に迷惑をかけてしまったら…。こんな恐ろしいことがありますか。親しい人の顔もわからず、生きがいもない状態で生きていたくはない。だからこそ、あえて提言したのです。“私がそうなったら、安らかに殺してください”と」
そう語る橋田は、現在、静岡県熱海市にひとりで暮らしている。夫を27年前に亡くし、子供はいない。親戚づきあいも皆無。
今夏、1年半ぶりに自身の代表作『渡る世間』シリーズの最新話を書き終えた橋田は、筆を休める間もなく、一つの提言をして耳目を集めている。
月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)で、橋田は『私は安楽死で逝きたい』というエッセイを寄稿した。安楽死への憧憬を語り、スイスの安楽死団体を自ら調べ、日本の法整備の必要性を説く彼女の言葉は、覚悟を伴って重い。
《スイスならいつでも行けます。いつ行くかというタイミングが難しい》
《ベッドで寝ているだけで、生きる希望を失った人は大勢います。(中略)そういう人が希望するならば、本人の意志をきちんと確かめた上で、さらに親類縁者がいるならば判をもらうことを条件に安楽死を認めてあげるべきです》
橋田の真意を聞くために、改めて取材を申し込むと、快諾。なぜ今「安楽死」を提言したのか。胸中を明かした。
「きっかけは2年前。いつお迎えがきてもいいように“終活”を始めたんです。ずっと頭にはありつつも先延ばしにしていたら、あるとき泉ピン子(69才)から、“ママ、もうすぐ90才だよ”って言われて、ハッとなって。洋服やバッグを全部処分して、捨てきれない宝石や絵画、時計は死んでから処分してもらうことにしました。どうしても手放せなかったのは、これまで書いた脚本の生原稿とビデオテープくらい。2年がかりの大整理でした」(橋田)