戦後、日本人ジャーナリストとして初めて北方領土を取材した報道写真家・山本皓一氏が、島で出会った女性たちを通して見たものとは。
* * *
初めて択捉島に足を踏み入れた1990年、ロシア人が私を見る目には期待と不安が入り混じっていた。宿泊したサナトリウムで賄い婦をしていた中年女性は、「この島が日本になっても続けて住めるなら構わない。その時にはぐうたらな今の亭主と別れて日本人と一緒になるわ」と明るく笑ったものだ。
2004年に択捉・国後両島を再訪すると、経済発展により街の様子は一変していた。少女たちの服装もすっかりあか抜け、貧相だった売店は、新鮮な果物や野菜がいつでも買えるスーパーマーケットに変貌していた。買い物に来ていた少女は「物を選ぶことがこれほど楽しいとは想像もつかなかった。それが一番うれしい」と声を弾ませた。
1970年ほど前まで、北方領土にロシア人は誰も住んでいなかった。それが今日に至るまで女性や子供の姿が絶えないのは、ソ連時代から続く移住・定住促進の優遇措置があるからだ。そこで暮らす女性たちを見て、日常生活の継続こそが領土を領土たらしめるのだ、と思い知らされた。
日本に返ってきた時、彼ら・彼女らと共存しつつ日本人も日常を築いていく必要があるだろう。
■やまもと・こういち/1943年香川県生まれ。出版社勤務を経て、フリーランスのカメラマンに。『田中角栄全記録』(集英社刊)など著書多数。北方領土のほか、尖閣諸島、竹島など「国境の島」を取材した『日本人が行けない「日本領土」』(小学館刊)が再び注目されている。
※SAPIO2016年12月号