努力とがまんを続けても、夢はかなわないこともある。しかし、かなえている人がいるのも事実。それも、50代になった今、ようやくに…。彼女たちの原動力は何か。苦節35年で文学賞を受賞した山口恵以子さん(58才)の場合――。
49才で作家デビューをし、55才の時発表した『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞。一躍、“売れっ子作家”となった山口恵以子さん。しかし、それまでの道のりは長かった。
「私、“弁護士になりたい”とか“アイドルになりたい”とか『~になりたい』という夢は、努力したって99%の人がかなわないと思うんです。かくいう私も、大学時代は『漫画家』を、その後は『脚本家』を目指しましたが、かなわなかった」(山口さん・以下「」内同)
30代は、脚本の土台となる物語・プロットを書いていたが、それでは生活できないと、契約社員を掛け持ちしながらも執筆を続けたという。
「40代半ばを過ぎ、脚本家の新人賞を取るのは無理だと悟りました。でも小説家なら何才でも新人賞が取れる。そもそも私は物語が書きたかった。その手段が、漫画だろうと脚本だろうと小説だろうとかまわない。“何になりたい”かでなく、“何がやりたいか”がわかっていたから、35年間挫折することなく続けられたんだと思います」
44才で丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務し始め、“食堂のおばちゃん”に転身したのも運命だったという。
「この時、初めて安定した仕事に就いたんです。『恒産なくして恒心なし』とはよくいったもので、安定した収入があれば心が安定する、だからいい物語が書けるんですね。私は書き続けるために、就職したんですが、“食堂のおばちゃんが小説家”というギャップがあったおかげで有名になれた。こういう“運”も、必要な要素だと思いますね」
今後の夢は、死ぬまで仕事を受け続けること。
「長編を書く体力は70才くらいまでだろうと思うと、あと12年しかない。後悔しないよう書き続けます。やりたいことがあったら挑戦しないと必ず後悔します。それほど不幸なことはありませんからね」
※女性セブン2016年12月1日号