「俺のために優勝しろ」──今年、日本シリーズを制した日本ハムの選手たちに、こうハッパをかけたのは引退を表明していた“遅咲きのエース”だった。
武田勝(38)は2006年、27歳で社会人野球のシダックスからドラフト4位で日本ハムに入団すると、抜群の制球力ですぐさま主力投手に。ダルビッシュ有との二枚看板は他球団の脅威となり、ダルビッシュのメジャー移籍後は開幕投手を務めるなどエースとしてチームを牽引した。しかし本人は、「ダルと並べて語らないでほしい」と謙遜する。
「僕はずっと“2番手の選手”でしたし、それで良いと思っています。社会人時代はシダックスで野間口(貴彦)、プロ入り後はダルビッシュ、大谷(翔平)と偉大な投手の陰でひっそりと勝ち星を稼ぐのが性に合っていた。球速もなく制球力で勝負する僕は、周りのサポートがあったからこそ勝てた。僕の場合、“勝てたら味方のおかげ”で、“負けたら自分のせい”なんです」
だからプロ生活11年で、記憶に残っているのも負け試合ばかりだという。
「チームの勝ちを消したという思いもあって、大きな試合ほど負けたら忘れられない。特に2007年の中日と戦った日本シリーズがそう。第3戦に先発した僕は初回、ウッズのタイムリーを皮切りに連打を浴びて5失点。一回ももたずに降板しました。ストライク、アウトを欲しがって焦るばかりで、修正が利かなかった。当時プロ入り2年目で、自分の力量を見誤っていたのです」
結果的にこの年は日本一を中日に譲った。だが、この負けをきっかけとして「最高の2番手になる」と割り切ることができたという。粘り強い投球術で、2009年から左腕では球団史上初となる4年連続二桁勝利をあげた。