2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、天台小止観の「止は禅定、観は知恵」の解釈を田中氏が解説する。
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20年と少し前、天台宗の阿闍梨が、命懸けで、私に止観(仏教のヨーガ)の指導をして下さいました。阿闍梨といっても山の中を歩き続けた方という意味ではありません。「蟻の街」というバタヤ部落(終戦後、廃品回収業に従事する人々が暮らした地区、集落をこう呼んだ)で貧困に苦しむ人々を救うために、苦しむ者と同じ姿に変身する観音菩薩を見倣って、屑拾いとなった松居桃樓師です。
言問橋の袂、東京大空襲後の焼け野原の跡に「蟻の街」ができました。屑拾いで生活し、ときに泥棒をする人もいたようです。泥棒した人を警察署に引き受けに行っていた松居先生は、天台宗の『法華経』でそのような人々を救おうと決心されたそうです。
観音菩薩のように相手と同じ姿になって、一緒に屑拾いをし、必要であれば泥棒もする覚悟をされたのです(fumon.or.jp『蟻の街の奇跡』参照)。その後、蟻の街は見事に自立して、数年後には東京都から埋立地を買い上げて移転しました。
その松居桃樓師は晩年、まさに命が尽きようとするとき、担当医の制止を振りきって救急車で私達の普門院診療所に転院されました。死に場所として観音菩薩の札所である益子の西明寺を選ばれ、住職の私に天台止観の極意を面授して下さったのだと思っています。
蟻の街で松居師を補佐した田所静枝さんが付き添って来られました。彼女は、松居師が『小止観物語』を著された縁で、蟻の街から東京・台東区の寛永寺に通って、二宮守人大僧正の指導のもと『天台小止観』の原文と読み下し文を出版されました。