【書評】『ピアニストは語る』ヴァレリー・アファナシエフ・著/講談社現代新書/800円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
二十一世紀へはいったころから、私はクラシックの音楽を、よく聴きだした。もっぱらピアノ曲だが、アファナシエフの演奏にも、CDで耳をかたむけたことはある。表現のゆたかな、癖の強いプレイぶりが、印象にのこっている。
悪く言えば、芝居気たっぷりとうけとれなくもない。役者が見得をきるような表情のつけかたに、くさいと感じるむきはいるだろう。まあ、「展覧会の絵」(ムソルグスキー)あたりだと、それもおもしろくうけとれる。しかし、ベートーベンのソナタでは、作為がすぎるように感じもした。
いや、この書き方には気取りがある。もっと、正直にのべておこう。ビギナーの私には、アファナシエフの大げさな身ぶりが、わかりやすかった。あれで、クラシックにもおもしろいところはあるなと思えた日々だって、あったのである。
さて、今回紹介するのは、アファナシエフを語り手とするインタビューの記録である。その157ページに、おどろくべき当人の声が、おさめられていた。
「派手にコントラストをつけたりしてはなりません。度を過ごさないことが大切です。いつも何かをしていなければ、などと思わないこと」
えっ、あなたこそ「度を過ご」していたんじゃあないのと、言葉をかえしたくなってくる。まあ、私の鑑賞力じたいが、おそまつだったということかもしれない。読みすすむうちに、アファナシエフの演奏は、近年かわりだしていることが判明した。ながらく遠ざかっていたピアニストだが、もういちど聴いてみようか。
一九四七年のモスクワ生まれ。ソビエト連邦下に、音楽教育をうけている。一九七四年には、西側へ亡命した。その亡命前後に体験したことどもも、こちらは抑制のきいた口調で、つたえてくれる。KGBの意外なまぬけぶりをはじめ、興味深い逸話が満載。音楽教育のありかたをめぐる意見も、なるほどと思う。日本文化については、買いかぶりがすぎようか。
※週刊ポスト2016年12月2日号