11月22日午前5時59分、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生し、福島、茨城、栃木の3県では震度5弱の強い揺れを観測した。警察庁の発表によれば宮城、福島、千葉の各県と東京都で計17人がけがを負い、うち3人が重傷だった。
「激しい揺れで目が覚めました。3.11の恐怖が頭をよぎりました」
そう話すのは、福島県いわき市四倉町に住む73才男性。家は海岸から200mほどしか離れておらず、東日本大震災では家の一階部分が津波に洗われて破損したという。
今回の地震では、青森県から千葉県にかけた広い範囲で津波が押し寄せ、宮城県の仙台港では高さ1.4mにまで達した。最大で40mを超える大津波が人と街をのみこんだ東日本大震災以降では最も高い津波だった。
衝撃を与えたのは、今回の地震が東日本大震災の余震ということ。それは、今後も起こる可能性があるという。30年以内に約70%の確率で発生するとされる首都直下型地震や南海トラフ大地震も、いつ起きても不思議ではない。それは今日、今この瞬間にも起こるかもしれない。
あの日から5年8か月…未曾有の震災を経験した被災者を再び襲った今回の地震。彼らはその時、どう動いたのか。
今回の地震で避難住民が最も多かったのは震源から約60kmの福島県いわき市で、一時、2000人以上が避難所に身を寄せた。同市は東日本大震災で464人の行方不明者を出し、とくに沿岸部は津波による被害が深刻だった。今回の地震でも発生から約50分後に60cmの津波第一波を観測した。
最初に大きな揺れを感じた時、前出の男性が真っ先に行ったのは、玄関のドアを開けることだった。
「出口の確保です。東日本大震災の時はドアが歪んで開かなくなり、蹴破って脱出したので。それから妻と一緒に避難の準備を始めました」
非常袋を避難所に持ち込む人も多かった。小名浜地区で理容院を営む男性(76才)は、リュックサックを常に玄関近くに置いているという。
「中身はペットボトルの水、家族3人分のシャツ、下着、靴下などの着替え。手袋、マスク、1週間分の薬。それにティッシュやウエットティッシュ、トイレットペーパーも入れています。震災の時は避難所でトイレットペーパーがなくなって困ったので」
さらに日頃持ち歩くバッグには飴やチョコレートを常備。懐中電灯と携帯電話は常に枕元に置いて寝ているという。
被災者の皆さんの行動について、改めて、災害危機管理アドバイザーの和田隆昌さんに話を聞いた。