独裁者は世に自身の権威を見せつけるために巨大な宮殿を建てる。かつてのルーマニアの独裁者、チャウシェスク大統領の公邸はその最たるものだろう。その部屋数3000室で、建築物としては米ペンタゴンに次ぎ世界2位の規模を誇る。1989年の政権崩壊から26年を経た今年3月、一般公開されることになった。そんな独裁者と建築の関係について建築史家の井上章一氏が考察する。
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チャウシェスクの宮殿には、政権の転覆後、おとずれたことがある。その偉容には、やはり圧倒された。宮殿側のガイド嬢も、これが世界一の規模をもつと、随所で説明していたものである。たとえば、ここはヴェルサイユ宮よりりっぱにできている、などなどと。
そういう案内ぶりに接して、私は皮肉のひとつも言いたくなった。よかったですね、独裁者がすばらしい観光資源をのこしてくれて、と。まあ、もちろんガイド嬢の前ではだまっていたのだが。
いわゆる独裁者が、みな建築で自分の権勢を見せつけたがるわけではない。キューバのカストロやエジプトのナセルは、それらしいことをしなかった。私はこの一点で全体主義体制を分類することも、できると思っている。ざんねんながら、政治学者はあまりそういうことを考えてくれないが。
建築で虚勢をはりたがる独裁者には、ある種の精神的なかたよりが、ひそんでいよう。だが、そのいとなみには、全体主義国家をささえる機微もある。
大規模な建設作業は、多くの労働者に仕事の機会をもたらすだろう。工事現場付近の消費も、活性化させていく。それでうるおった人びとは、独裁者をありがたく感じるかもしれない。あの人は自分たちの自由をみとめないが、儲け口をあたえてくれた、と。そういう想いをあおりつづけるために、建設ラッシュがとめられなくなる体制は、あると思う。ナチズムは、そちらへ傾斜した典型例であろう。
そう考えれば、やっていることは戦後日本の建設政策とも、それほどかわらない。周知のように、日本もスクラップ・アンド・ビルドをくりかえし、富をきずいてきたのである。あるいは、自民党の長期政権を安定させもした。もちろん、独裁者の宮殿と公共工事でできた施設を、いっしょにしてはいけないのだろうけど。
【PROFILE】1955年京都府生まれ。京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。建築史家。国際日本文化研究センター教授(建築史、意匠論)。風俗、意匠など近代日本文化史を研究。『京都ぎらい』(朝日新書)、『関西人の正体』(朝日文庫)など著書多数。
※SAPIO2017年1月号