歌舞伎や落語と同じように、日本料理にも伝統がある。東京・東麻布の「五代目 野田岩 麻布飯倉本店」は、うなぎの老舗だ。
金本兼次郎さん(88才)は、18才でうなぎ職人になり、29才で店を継いだ。江戸時代の寛政年間(1789~1801)に創業されたうなぎの老舗『野田岩』の五代目当主だ。
米寿の今も厨房に立つ。朝5時に起きて、うなぎを裂く。串に刺して焼いて蒸してタレをつけて、また焼いて…そんな生活を60年以上続けている。10才のときには、先代の父から「五代目はお前がなるんだぞ」と言われていた。
「父の教えは“自分の目で見て感じなさい”でした。細かいことは教えてくれなかった。父の働く背中を見て、仕事を覚えようと必死でした。うなぎを焼くのは本当に難しいんですよ。火鉢の炭の置き方から始まって、火加減や団扇のあおぎ方。うなぎを返すタイミングなど、いろいろポイントがある。父と同じように焼いているのに、同じように焼けないんです。何度も失敗を繰り返しました」(兼次郎さん、以下「」内同)
太平洋戦争のときには、空爆から逃れるために防空壕を掘って、タレをはじめとする商売道具を守った。
「疎開先から戻ってみると、辺り一面は焼け野原でしたが、防空壕の中は焼けてなかった。親父とふたりで粗末な小屋を建てて、店を再開しました」
必死の思いで守ったタレの味は現在、創業当時とは違っているという。
「タレを甘めにしているんです。昔は、文明が発達してないから、日常生活での運動量が現代より多かった。たくさん汗をかいたから、塩分を欲していたんでしょう。しょっぱめのもののほうがよかったんです。今は、現代の味覚に合うように、甘めのタレにしてあります。代々継ぎ足しながら受け継いできた大切なタレですが、“創業以来、変わらない味”というと、それは違うんです」
手法や技術は守りながら、味を時代とともに変えていく──それが伝統ということなのだろう。
※女性セブン2016年12月22日号