今や世界中で目にする屋台。日本ではラーメンやおでんといった温かいものが出てくるイメージだが、いったいいつごろ生まれたのだろう。福岡県移動飲食業組合連合会・会長の白石幸生さんはその歴史をこう振り返る。
「屋台は江戸時代から握りずしやそば切り、天ぷらなどが存在しましたが、盛んになったのは戦後。戦災者や戦争未亡人、引揚者などの人々が生活のために始めたのがきっかけです。急速に発展したものの、衛生面を危惧したGHQが厚生省に指示し、1950年には屋台が全面廃止になりました。
しかし福岡では、連合会を設立し、保健所や厚生省と直接交渉を何度も重ね、1955年に屋台の営業許可が得られたのです」(白石さん)
ピーク時には福岡市内だけでも400店以上あった屋台は、都市化が進むにともない次第に姿を消し、現在は約110店に。また、店主の高齢化とともに存続が難しくなり、廃業を余儀なくされる店舗も増えているという。
「福岡の屋台の営業時間は夕方17時~翌朝4時までですから、毎日屋台を持ち運び、設置してはまた片づけるという作業をしています。この作業は高齢者にはかなり負担になるのですが、それでも屋台文化を守ろうとSNSなどで情報を発信。新規参入店も徐々に増えています」(白石さん)
以前の屋台はリアカーを引いた店主がチャルメラを吹きながら、ラーメン等を売っていた。今はその光景を見かけることが少なくなり、リアカーは、ワゴン車など軽自動車を使って調理販売を行う“キッチンカー”へと形を変えた。たこ焼き専門移動販売店主・平山晋さんは言う。
「オフィス街やフェスなどのイベントで、カレー、たこ焼き、どんぶりものなどを売っている移動販売車は、屋台と同じだといえます。少ない資金で始められるので、都内を中心に、広がりを見せています」(平山さん)
※女性セブン2016年12月22日号