漫画家の故・赤塚不二夫氏を中心に開かれていた伝説の宴会「赤塚会」──。そこには、若かりし頃のタモリ、研ナオコ、所ジョージ、THE ALFEE坂崎幸之助らが集っていた。映画監督の山本晋也氏が、赤塚会の“熱い記憶”をたどる。
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あれは1979年頃だったな。赤塚先生を中心に「面白グループ」といわれる仲間がいてさ。芸人・歌手・俳優から放送作家までメンバーは色々。新宿の「ひとみ寿司」で、冷やしキャベツをつまみに毎週のように宴会をしてた。
寿司屋で寿司を食わないのは、先生一流のシャレだったんだろうね。参加者はここで宴会芸を披露しては、芸を磨いていた。
当時、タモさんもまだ、『笑っていいとも!』を始める前だった。普段は本当に寡黙な人だったけど、トイレに行って戻ってこないと思ったら、いきなり伝説の芸となった「イグアナ」のモノマネをやる。研さんなんかはそれを見てケタケタ笑ってたよね。
タモさんは他にも、酔っ払うと架空の「中洲産業大学教授」に扮してた。冴えない教授の芸なんだけど、“ああ、こんな先生いる、いる”って感じでさ。突拍子のない人だった。
オレは赤塚先生にいわれ、たこ八郎と「太田胃散の口移し」という芸をさせられた。それ以来、太田胃散は飲んでないよ。所さんは一番若くて、最近聞いたら、それを“くっだらないことをしてる大人だ”って見てたんだって。ちょっと意外だよね。
アルフィーの坂崎は先代「林家三平」のマネが上手かった。アイツの「どうもすいません」は歌より上手かったよ(笑い)。
みんなが集まれば、どこでも“面白いこと”をやった。真冬に軽井沢に行ったときは宿泊先の庭を砂浜に見立ててさ。赤塚先生とタモさんが海パン一丁で新聞を読みながらくつろいでるの。
オレは写真を撮ってたんだけど、なぜか服を着てたオレだけ風邪をひいちゃった。2人は雪の中で素っ裸になって、お尻にロウソクを刺して四つん這いで歩いてたこともあったな。
バカバカしいけど、みんな、仲間を喜ばせよう、楽しませようと「宴会芸」だからといって手は抜かなかった。面白グループがあったからみんな出世できたんだと思う。まさに「芸は身を助ける」だね。
※週刊ポスト2016年12月16日号