阪神タイガースの江夏豊がオールスターゲームで9連続奪三振を達成した1971年、六本木交差点の近くに創作日本料理店『六本木 わかば』はオープンした。
雑居ビルの地下1階にある、この店は毎晩、常連客でにぎわう。看板メニューは、数種類の調味料で味付けした豚肉を詰めて、3~4日干した「自家製腸詰」。ビールのつまみに合うと、客のほとんどが注文する。初代店主の寺井延吉さん(享年59)が考案した一品だ。
その後、4人の息子たちが店を継いだ。現在、三男はハワイで料理店を経営しているため、3人の息子たちが料理人として厨房に入っている。四男・東吾さんは、都内の宮廷料理店で働いていたが、2005年にわかばに戻った。
「その頃の親父はがんを患って、もう長くは生きられないと思ったんです。最後に一緒に働きたかった。カウンター越しの料理店で働くのは初めてでした。想像以上にきつかった。料理をしながら会話をする。あがり性の私には、つらかった」(東吾さん)
毎日、その日の会話の内容を思い出しては反省を繰り返したが、一向にうまくいかなかった。客から怒られることもしばしばだった。
一方の父親は、料理をてきぱき作りながら、笑顔で客と話している。東吾さんは、延吉さんに悩みを打ち明けた。すると、延吉さんはこう答えた。
「今はそれでいいんだ。お客さまに育ててもらいなさい。うちには、いいお客さまがたくさんいる」
「その言葉で楽になれたんです。それまで、親父のお客さんが私のせいで離れちゃったらどうしようって怖かった。でも、失敗してもいいんだよということを親父は言ってくれた。ありがたかったです」(東吾さん)
それから1年後、延吉さんは肝臓がんで亡くなった。まもなくして、常連客から、こう言われ始めた。
「腸詰の味が落ちてるぞ」
「その言葉は悔しいけど、ありがたかった。指摘してくれるのは優しさですよ。お客さまが気づかせてくれたんです。親父の味は、しっかりと守っていかないといけない。兄貴たちと話し合って、何度も何度も作り直して、研究しました」(東吾さん)
それからしばらくして、常連客がこう言った。
「変わらない味になったね」
延吉さんの亡き後も、客が息子たちを育ててくれた。
※女性セブン2016年12月22日号