嫉妬、裏切り、無視、侮辱…。人生の中で、辛い経験をした人は数多い。向井美千代さん(仮名、東京都・31才)もそんな一人だ。「自分を変える」ために、辛い経験を告白する。
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私の母が、世にいう“毒親”だと気がついたのは、いつからだったか。母の甲高い声やしぐさ、狂気をはらんだ視線を思い浮かべるだけで、身がすくんで身動きが取れなくなることが、普通ではないことを知ったのはいつからか。
私は、父が45才、母が36才のときに生まれたひとりっ子。結婚7年後にやっと授かった子供だったそうです。商社マンの父は、海外単身赴任が長く、一緒に生活をするようになったのは私が8才のときで、それまでは母にべったり。朝から夜寝るまで、どこへ行くのも一緒でした。
◆小5の娘に「色気づいて恥ずかしくないのか」と、鬼の形相
あれは、初潮を迎えた小5の夏のこと。母は処置の仕方を教えながら、なぜか怒っていました。「まったく、マセてるんだから」と、ぶつぶつ言われても、私は戸惑うことしかできません。
その頃です。友達が、ふくらみ始めた胸を隠すために、スポーツブラをつけだしたので、「私も欲しい」と洗濯物を畳んでいた母に訴えました。
「体育のとき、男子が『おっぱい、おっぱい』とからかうの」と言うと、「お前は何を言っているんだっ! 色気づいて、恥ずかしくないのか」と、鬼の形相。以前から、母は怒ると見境がつかなくなりましたが、そのときは尋常ではありませんでした。
顔を思いきり拳で殴られ、思わずにらみつけると、あとは覚えていませんが、よく朝、私の目の周りには、隠しようがないほどのあざができていました。中2でやっとブラジャーを買ってもらうまで、私はシャツを2枚重ねに着て、肩をすぼめて胸のふくらみを隠していました。
母は、同級生がごく当たり前にしていることを私がすると、ことごとく感情を爆発させます。たとえばわき毛を剃っている場面を見つかったときのこと。「親からもらった体に、なんてことをしているんだ」と、甲高い声が部屋に響き、後は殴る、蹴る。