2016年ももうすぐ終わる。今年も多くの著名人が天国へと旅立った。7月31日には、第58代横綱の千代の富士貢さん(九重親方)がすい臓がんのため61才で亡くなった。通算1045勝は歴代2位、優勝31回は歴代3位。記録はもちろん、「途方もない強さ」が記憶に残る力士だった。
北海道の小さな漁村に生まれ、「飛行機に乗れるぞ」と誘われて上京し、15才で九重部屋に入門した。力士としては小柄のうえ、肩をすぐ脱臼する癖に悩まされたが、1日500回の腕立てやぶつかり稽古で徹底的に鍛え、鋼のような肉体を作り上げた。ギラギラした眼光から、「ウルフ(狼)」と名づけられ、大型力士をバッタバッタと投げ飛ばす戦いぶりで喝采を浴びた。
「ウルフフィーバー」を巻き起こした横綱が挫折を味わったのは、1984年の秋場所だった。「ハワイの黒船」と呼ばれた巨漢・小錦との対戦で猛烈な突っ張りを何発も浴び、土俵際に突き落とされた。
だがこの後、失意の横綱は意外な行動に出る。現在はタレントの小錦八十吉(52才)が当時を振り返る。
「親方は横綱という立場なのに恥も外聞も捨て、ぼくのいた高砂部屋に毎日出稽古にやって来て、こっちがギブアップしたいくらい、何度もぶつかり合いました。“もう絶対こいつには負けない”という強い意志を感じました」
横綱のプライドを捨て、「強さ」を追求した千代の富士はその後も勝ち星を伸ばし、1989年に角界初の国民栄誉賞を受賞した。出稽古のおかげで、苦手だった小錦との対戦成績も最終的に20勝9敗と大きく勝ち越した。
1991年、当時18才の貴花田(元横綱貴乃花)に破れて、「体力の限界。気力もなくなり、引退することになりました」の名言を残し引退した。
千代の富士を「角界のスーパースター」と呼ぶ小錦が振り返る。
「稽古場で親方は『我慢して、辛抱して、それで強くなるんだ』と繰り返していました。本当に厳しい稽古だったけど、それも若い力士や同僚力士のためでした。土俵上の“厳しさ”こそ、親方の“優しさ”だったんです」
※女性セブン2016年12月22日号