『シン・ゴジラ』『君の名は。』など数多のヒットに恵まれた2016年。その掉尾を飾るがごとく、現在、各地で“熱狂”を生んでいるのがアニメ映画『この世界の片隅に』である。戦前・戦中・戦後直後の広島県・呉市の「日常」を静かに描いた同作の魅力を“日本一硬派”なアニメ評論家を自任する古谷経衡氏が綴る。
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「原爆は悲惨だ」「戦争は良くない」「平和は大切だ」もう何万遍もこのセリフを、私たちは学校で、テレビで、あるいは新聞や知識人の言葉として聞いてきた。しかしそんな当たり前の言葉を何万語、何千万語費やしても、『この世界の片隅に』の2時間には敵わないだろう。
あらゆる文学、あらゆる映画、あらゆる音楽がこれまで「平和」を謳ってきた。私たちはそのたびに涙ぐみ、しかし、次の日にはそれを忘れ、暴力に対して再び無関心になる。「反核」「反戦」、当たり前の正論だが、当たり前だからこそそれを、心底他者の心の中に刻み付けるのは至難の業である。
だがこの映画を観た者は、凡百の先人達が口を酸っぱくして、ある種説教調に説いてきたこれらのメッセージが、大海嘯の如く押し寄せる感動とともに、己の魂の中に永遠に刻み付けられただろう。
「戦争が終わってよかったね」とかそういう話ではない。『この世界の片隅に』は、「戦争」とか「平和」などという、簡単な漢字二文字の背後に、あの戦争の、あの時代をこの列島に生きた1億人の、1億通りの小宇宙があることを物語る。