「天才」と呼ばれたひとりの釣り師の死を悼む声がネットで静かに広がっている。交流があったコラムニストのオバタカズユキ氏がその生を振り返る。
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50年と少し生きてきて、これまで天才と呼べる3人と交流している。
1人は、私が企画・編集役で出版した新書『国のために死ねるか』の著者、伊藤祐靖だ。伊藤は私と同学年の元海上自衛官。自衛隊初の特殊部隊の創設に携り、志半ばでの退官後は、「撃てて、潜れて、平和ぼけしない」地を求め、フィリピンのミンダナオ島に拠点を移し、特殊戦の技量を磨いていた。いまなお「日本最強」と言える人間である。
2人目は、10年ほど前に知り合ったフレンチシェフの近藤裕。屋台や居酒屋、土木関連の仕事で金を貯めては渡仏を繰り返し、まったくの独学で料理の腕を磨いてきた。そして2007年、39歳で銀座7丁目の超一等地に2フロア70坪のグランメゾン(高級フランス料理店)をオープン。「郊外の新築10戸が買える金額」の借金を背負っての挑戦だったが、知る人ぞ知る店として富裕層の美食家らに支持され、2年後には借金を完済したと聞く(現在は千葉県で会員制の店を営業)。
そしてもう1人は、20年ほど前に知り合ったルアーデザイナーの楠ノ瀬直樹。1960年生まれの楠ノ瀬は、ブラックバス釣りの競技を賞金制で行うバスプロ・トーナメント黎明期から選手として活躍。のちにルアー製作に専念し、数々の独創的な製品を世に出してきた。私は仕事のからまない友人として、1990年代後半から2000年代前半にかけて、毎週のように彼と釣行していた。東南アジアの漁船をチャーター、海上連泊して巨大魚釣りに興じるなど、かなり遊びほうけていたと我ながら思う。
彼らがどのように天才なのか。説明しろと言われたら何時間でも語れる。が、今は3人のうち最後にあげた釣りの天才について記しておきたい。彼の才能に関し、その断片でいいから、より大勢の人に伝えたい。
なぜなら、つい先日、楠ノ瀬直樹の急逝の報が入ったのだ。享年56。若い。不意の知らせに、私はずいぶん動揺した。
彼の死を惜しむ声は、ネット上で静かに広がっている。「自分は楠ノ瀬直樹を尊敬していた」「釣りの本質を教わった」という声がいくつも拾える。ここ数年はメディア露出もなかった楠ノ瀬だ。書き込みをプリントアウトして、生前の彼に、「ほら、こんなにあなたの影響を受けた人たちがいるよ。あなたが人の心を動かしていたんだよ」と手渡したい思いだ。