サムスン製スマホの連続発火事故は、韓国製品の粗雑さを国際社会に再認識させた。韓国はなぜまともな“モノ作り”ができないのか。在韓ジャーナリスト・藤原修平氏が考察する。
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8月下旬以降、韓国・サムスン電子製のスマートフォン「ギャラクシーノート7」の発火が世界で相次いだ。製造元のサムスン電子は9月にリコールを発表し、中国製のバッテリーを交換。それでも発火が続いたため、10月11日に生産・販売を中止した。
だが、騒ぎは収まらなかった。10月半ばまでには旅客機への同機種の持ち込み禁止が全世界に拡大。米韓では損害賠償を求める集団訴訟が進められ、今後、米国では厳しい制裁が科せられるとの見方もある。
米・豪・ニュージーランドでは、サムスン製洗濯機の爆発事故も多発している。2011年3月から2016年4月までに製造された機種では、米国で700件以上の異常が当局に報告され、肩やあごを負傷したケースもあった。
サムスン製品にこうした事態が続くのは、同社が大きく成長する過程で“モノ作り”を軽視してきたからに他ならない。韓国駐在の日本人技術者が指摘する。
「サムスンは世界中から寄せ集めた部品で自社製品を作ることを得意とし、巨大な利益を得てきた。そうした社風では部品の細かい不具合を十分に把握しきれない。不具合のある部品が他の部品に影響し、大事故に繋がることもある」
サムスンの“トップダウン”経営も、モノ作り軽視の社風を後押ししている。
10月11日付ニューヨークタイムズは「(サムスンでは)製品の技術がどのようなものか理解していない上層部から命令が下される」と報じた。そうした環境では、モノ作りに必須となる「技術の継承」という考えは生まれてこないだろう。
言うまでもなく、モノ作りの屋台骨となるのは技術力だ。だが、韓国では中小企業や町工場の技術、熟練工が一向に育たない。
なぜなら韓国の大手メーカーは、外国製の目新しい技術や精度の高い部品が登場すると、それまで取り引きのあった町工場をあっさりと切り捨て、そちらに乗り換えてしまう傾向が強いからだ。これでは優秀な技術や職人が育つはずもない。大手メーカーと町工場の職人が長年かけて信頼関係を築き、切磋琢磨しながらより精度の高い製品を作り上げる「メイド・イン・ジャパン」と大きく異なる点だ。
●ふじわら・しゅうへい/1973年岩手県生まれ。韓国、中国東北部を中心に東アジア地域の取材を行う。2009年より韓国在住。
※SAPIO2017年1月号