手に取ると自分の顔が映るほど金ピカなカバーには、福澤諭吉の顔とともに、整形を繰り返した彼の顔が全面に――そこに添えられているこんな言葉が世間をザワつかせている。
「あと数十億円使い切って死ぬ」
年商60億円の高須クリニック、高須克弥院長(71才)は著書『行ったり来たり僕の札束』のなかでそう明かした。その真意とは――。
長寿大国となったニッポンでは、めでたいことよりめでたくないことの方が増えている。老後破産、介護問題…年金頼りの老後なのにその年金ももらえるかどうか疑問視せざるを得ない状況になっている。それゆえいかに金を稼ぐか、それをどう貯めるか、そしてどのように家族へ残していくかは、多くの人の一大テーマだ。
それなのに高須院長は、これまでの常識をあっさり否定するかのようにこう話す。
「ぼくはお金を儲けようと思ったことはない。やりたいことをやっているうちにお金が入って来た、と言うとムカつく人もいるかもしれんが、事実なんだ。金が欲しいと思ったこともなければ、金で困ったこともない。だから全部生きているうちに自分で使い切っちゃわなきゃ、面白くないの」(高須院長、以下「」内同)
こう考えるに至ったのは彼が歩んできた半生と決して無関係ではない。
それでは本題に入る前に、高須院長の半生を駆け足で振り返る。
愛知県の田舎町で江戸時代から代々続く家に生まれた高須院長。「YES!高須クリニック」のCMで見せる笑顔とは対照的に、小学生の頃は、いじめられっ子だった。しかし、成績は常にトップで、医学部に入学。
整形外科を専門に学び、卒業後すぐに開業。最新技術を生かして、いい治療を提供すれば喜ばれると思ったが…。
「事故の傷跡もきれいに治し、すぐに退院できるようにしたら、経営困難になってしまった。みんな、休業補償の認定をもらいたいから、治療を長引かせてくれる病院に行ってしまう。病院の事務長に『下手くそな医師のほうが売り上げが上がるんです』って言われて、すごく頭に来て。じゃあ今までの保険診療を全部やめて別に自費のクリニックをつくろうと思ったの。それで、自分の技術が生かせる二重まぶたや鼻を高くする手術をするために美容整形専門の医療機関を開業しようと思ったんです」
しかし当時、美容整形は日陰の存在だったという。
「それをぼくは名古屋の大通りに堂々とクリニックを開設、料金もわかりやすく一律にしたの。交渉の時間がもったいなかったから。そうしたら、結構はやっちゃって(笑い)」
あっという間に年商60億円。出した本はベストセラー、コメンテーターとしてテレビでも引っ張りだこの人気者になる。しかし、1990年には脱税により30億円を失い、バブル崩壊の影響で100億円の借金を背負った。
「自分の目の前で大金が行き交うのを見ていて、お金は血液のようなものだって気がついた。血液は生きていくためには大事だけれど、それは循環してこそ生きられるんであって、血液だけじゃ生きていけない。だから血液だけため込んでいる人って、バカじゃないかな、って思います」
※女性セブン2017年1月1日号