年末年始はじっくりと本を読む良いチャンスだが、本読みの達人が選ぶ書は何か。ドイツ文学者でエッセイストの池内紀氏は、次期米大統領であるドナルド・トランプ氏を読み解く書として『童蒙おしえ草 ひびのおしえ』(福澤諭吉・著/岩崎弘訳・解説/角川ソフィア文庫/1080円+税)を推す。池内氏が同書を解説する。
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福澤諭吉は明治五年(一八七二)、イギリスの『モラル・クラス・ブック』をもとにして、子ども向けの本をつくった。人間として大切な基本の考えを説いた。その現代語訳が文庫になって、「童蒙」よりも、むしろ大人に訴えてくる。
たとえば巻の四のアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンを語ったくだり。「政府の仕事のよい役」が空席で、人事を行う。世間はてっきり「特別な親友」である某氏が指名されると思っていた。
ところが手ごわい論敵として知られた人がその役に就いた。ワシントンは理由を述べた。自分はただのジョージ・ワシントンではなく合衆国の大統領であって、「私の心」で決めてはならず、「合衆国の大統領の公の立場では、これはどうすることもできません」
大統領制という政治制度をはっきりわきまえた人の言である。これはイギリスや日本などの議院内閣制とまったく違う制度なのだ。アメリカの大統領は任期のある王さまであって、同格の人物のいない屹立した存在であり、この一人に決定が集中する。
そういう制度の下にあって、しかしながら決定するのは人間である。ナマ身の個人なのだ。いかにこれがリスクを孕んだシステムであるか、王さまと個人のかかわりからも見てとれる。政策決定の側近に論敵を指名した初代の英知がわかるのだ。
第四十五代・ドナルド・トランプはどうだろう。選挙期間中の数々の戦略的暴言よりも、むしろ背後に見てとれた「個人」こそ興味深い。急速に成り上がった経営者におなじみだが、彼は反対意見を、自分個人に対する挑戦と考える。秘密に対する強烈な執着からして、まわりを忠誠を誓う「特別の親友」あるいは身内でかためるだろう。それぞれの性格と弱点を知っていなくては承知できないからだ。
おそらく自信ありげに見える人間は、えてしておそらく自信のない人間である。いずれ世界は、最悪の人物を唯一無二のポストにつけた愚を思い知る。
※週刊ポスト2017年1月1・6日号