今月23日、千葉ロッテマリーンズの大嶺祐太投手が結婚式を挙げた。同投手と親交があり披露宴に出席したフリーライターの神田憲行氏が、万感の思いを込めて書く。
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沖縄県那覇市で行われた披露宴の招待客は約330人、招待客の余興や歌手のBEGINの余興を越えてもはやミニコンサートもあり(アンコールまで応えていた)、盛りだくさんの内容だった。千葉ロッテマリーンズの同僚選手たちのノリも素晴らしかった(内竜也投手のファンになりました)。カチャーシーに乗ってプロ野球選手もおばちゃんもおっちゃんも子どもも踊りまくる光景は壮観で、あんな一体感のある披露宴は経験したことが無い。祐太と新婦の琴菜さんの人間付き合いのたまものだろう。
夕方6時半から始まったのがなぜか延長戦に突入して11時を過ぎ、場所を移した二次会が終わったときには2時だった。2次会にも千葉ロッテマリーンズ軍団が来た。いまこの原稿は翌日のクリスマス・イブに書いているが、昨夜の宴が夢の中の出来事のようである。
祐太は沖縄県石垣島の八重山商工のエースとして2006年、春夏の甲子園に出場した。私は伊志嶺吉盛監督(当時)やユニークな選手たちを取材し、「八重山商工野球物語」という一冊の本にまとめた。祐太との縁はそれからである。
人なつこい性格だった。私がグラウンドに行くと、「神田さん、ハンカチ王子ができるようになりました!」と夏の優勝投手、早稲田実業・斎藤佑樹投手のピッチングフォームの真似を見せてくれたりした。
祐太はご両親との縁が薄く、きょうだいとも漁師をしている祖父の武弘さんと祖母の孝子さんに育てられた。実家でおじいさんの取材を私が希望すると、祐太は「ええー本当に来るんですか……」と渋々家に連れて行ってくれた。平屋建てのこじんまりしたお家で、私を連れて家に上がると祐太はふいとどこかに消えた。
それからしばらくしたドラフト前の秋口、石垣島の空港でたまたま居合わせたNHKのカメラマンと友人と一緒にタクシーに乗って八重山商工のグラウンドに向かった。観光客の風体でない男ふたりに運転手が訊ねてきた。
「お客さん、マスコミの人?」
「ええ、そうですよ」
「大嶺の家、大変なの知ってますか」
知らんぷりして車窓を眺めた。こいつ、なに言い出す気なんや。すると運転手は祐太の父親のこと、母親のこと、祐太の境遇についてさも面白そうに話し出した。メディアに注目される人間へのやっかみだろうか。ドラフトで間違いなく大金を手にする若者への嫉妬だろうか。マスコミに「ネタ」を提供して、なにかの溜飲を下げたいのか。
「運転手さん、ちょっと止めて」
私は車を止めさせ、「ちょっと出て」と運転手を車の外に誘った。
「あのさ、なんでそんなんわざわざ言うの? なんで石垣島の子が頑張ってるの、応援できへんの? あいつがあんたになんか悪いことしたか?」
運転手に抗議してると、涙が出てきて、止まらなくなった。
「あいつは自分の右腕1本で道切り開いてきたんじゃ! 大人が、しょーもないこと言うてんな!」